快晴の大安吉日。いかがお過ごしでしょうか。
チト、長くなりますがおつき合い願います。

今年は、出雲大社(島根県出雲市)のおおよそ60年ごとの大遷宮と伊勢神宮(三重県伊勢市)で行われる20年に一度の式年遷宮とが奇しくも重なった。5月10日、出雲大社の平成の大遷宮のクライマックスである遷座祭が無事執り行われた。そして今月2日に伊勢の内宮、5日に外宮の遷御(せんぎょ)の儀が無事完了した。

内宮のご祭神は国の内に隈なく光が照り徹ると称えられる天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)で、ご神体は八咫鏡(やたのかがみ)。外宮のご祭神は豊受大神だが、ご神体は公表されていない。

この式年遷宮に際して、天皇陛下も皇太子も伊勢にお出かけにならなかった。天皇陛下は皇居の神嘉殿(しんかでん)の前庭で神宮に向かって拝礼する「遙拝(ようはい)の儀」に臨まれた。正装の陛下は、閉じられた屏風の中でお一人で儀式に臨まれた。皇后陛下は皇居・御所で、皇太子ご夫妻は東宮御所で拝礼なさった。歴代天皇で式年遷宮に立ち会った方はいらっしゃらないようだ。今回の遷宮でも、立ち会うのは親王と皇族から出る斎王のみであった。なぜ、天皇家の天照大神の遷宮に天皇が立ち会わないかについては明らかにされていない。3日に、天皇皇后両陛下は最後の傷痍軍人会に出席なさった。
傷痍軍人会:解散式 平均92歳、会員数減で運営難しく
(毎日新聞 2013年10月03日20時00分
 戦争で負傷した元軍人らでつくる財団法人「日本傷痍(しょうい)軍人会」(東京都千代田区)は3日、明治神宮会館(渋谷区)で60周年となる最後の記念式典と解散件式を開いた。平均年齢が92歳と高齢化して会員も減り、組織運営が難しくなったため解散を決定。「自然な時代の流れ」と受け止める声がある一方、「体験者の集いが減れば戦争の記憶が忘れられていく」と懸念する参加者もいた。
 記念式典は天皇、皇后両陛下を迎えて行われ、元軍人や妻ら約1200人が全国から集まり、安倍晋三首相も参列。天皇陛下は「戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が、決して忘れられることなく、皆さんの平和を願う思いと共に、将来に語り継がれていくよう切に希望してやみません」と述べ、安倍晋三首相は「命をかけて戦い、障害を受けられた方々に必要な援護施策を講じることは国の果たすべき当然の責務」などと話した。
 続く解散件式で、参加者は改めて黙とう。戦後68年がたって、最も多い時で約35万人だった会員数は約5000人にまで減っており、奥野義章会長は「組織の高齢化に伴ってお別れしなければならない状況になり、断ちがたいものがある」と感極まった様子で話した。
 同会は1952年、戦争で手足や視力を失うなどした元軍人らが設立した。戦時中は「名誉の負傷」とされ義肢支給などの援助策があったが、戦後は多くが廃止され、生活苦に陥る戦傷病者が続出。生活向上などを国に求める活動を続けてきた。
 法人としての正式な解散は11月末。会が運営してきた戦傷病者史料館「しょうけい館」(千代田区九段南)は厚生労働省の委託事業として民間企業が運営を受け継ぎ、今後も会員の証言ビデオなどを見ることができる。【山田奈緒】http://mainichi.jp/select/news/20131004k0000m040042000c.htmlより転載
遷宮の後、真のご神体とも言われる心御柱はどうなるのだろうか。源頼朝は1190年の第27回の内宮の式年遷宮に多大な貢献をしたが、その事を記した『吾妻鏡』には、遷宮の5年後に前の心御柱を使って仏像を彫り東国の守りにしたと記されている。筆者は神仏合体として評価している。
建久6(1195)年11月19日 庚子
 相模の国大庭御厨俣野郷の内に大日堂有り。今日田畠を寄進す。未来の際を限り、仏聖燈油料に宛らる。これ故俣野の五郎景久帰敬の梵閣なり。本仏は、則ち権五郎景政在生に、伊勢大神宮の御殿二十年一度造替の時、彼の心御柱を伐り取り、これを造立し奉る。権大僧都頼親の室に於いて開眼供養を遂ぐ。東国衆人を守護し給うべきの由誓願せしめ、これを安置し奉る。仏神の合躰尤も掲焉なり。内外の利生何ぞ疑わんか。
 違跡を相伝せしむの処、景久滅亡の後、堂舎漸く傾危に及び、仏像雨露に侵さる。景久の後家尼旦暮この事を愁い、醒めても寝てもその功を思う。三浦の介義澄これを伝え聞き、本より帰仏帰法の志有るに依って、興隆興行の儀を執り申す。而るに景久は反逆者たりと雖も、景政は源家の忠士たるなり。本尊はまた御衣木の濫觴と云い、当伽藍の由緒と云い、誠に檀那の誓約に任せ、専ら柳営の護持せしめ給うかの由御沙汰有り。聊か御奉加に及ぶと。
現在、前の心御柱は選ばれた神官が秘儀として丁重に扱い埋葬するようだが、詳細は不明である。

出雲大社(いずもおおやしろ)の遷宮は、随破遷宮といって損傷が進んだ時に行うのでおおよそ60年に一度という流動的なものである。遷宮はご本殿の新築祝いのように思われがちだが、その本意は神さまが鎮座されたその時を再現する原点回帰にある。はじまりのときに立ち返る、壮大なよみがえりのストーリー。遷座によってさらに力を増された神さまにお参りすることで、私たちも自己の原点を見つめ直し、たくましい生命力と新しいご縁を授かることができるに違いない。出雲大社のご祭神は大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)で、ご神体は「誰でも拝すことのできるものではない」(第82代出雲国造の千家尊統(せんげたかむね)氏の著書『出雲大社』(学生社)より)である。現在も、皇室のファミリーであってもご本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。古代より、ご祭神は「国内第一の霊神(れいじん)」と、ご本殿は「天下無双の大廈(たいか)」と称えられている。出雲大社のご本殿をご覧下さい。


旧暦10月には全国の八百万の神々が出雲の国に集まる。旧月名の「神無月」が、出雲地方だけ「神在月」と呼ばれる所以。とりわけ旧暦10月10日〜17日までの8日間、各神社では神々をお迎えする「神迎祭(かみむかえさい)」に始まり、神々が酒造りや縁結びについて議りごとをされる間の「神在祭(かみありさい)」、そして神々をお見送りする「神等去出祭(からさでさい)」まで、古式に則り神事が執り行われる。

11月12日(火) 19:00 神迎神事・神迎祭(稲佐の浜)
11月13日(水) 09:00 神在祭(御本殿)
11月17日(日) 10:00 神在祭・縁結大祭(御本殿)
11月19日(火) 10:00 神在祭・縁結大祭(御本殿)
11月19日(火) 16:00 神等去出祭(拝殿)
詳しくは→ http://www.izumo-kankou.gr.jp/1275


閑話休題(それはさておき)


2003年12月公開の映画『ラストサムライ(The Last Samurai)』は、西郷隆盛(1828年1月23日〜1877年9月24日)らが明治新政府に対して蜂起した西南戦争(1877年)をモデルにしている。監督・脚本を手がけたエドワード・ズウィック氏はアイヴァン・モリス著『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』の第9章「西郷隆盛伝」に影響を受け、明治維新の実現に当初貢献しながらも、やがて新政府に反旗を翻した西郷隆盛の美しくも悲劇的な生涯が、ラストサムライという架空の物語の出発点となったことを表明している。この作品には時代考証を怠った漫画チックな忍者軍団が登場したりするのだが、時代から取り残されたようにみえるサムライたちの生き様を描きつつ、日本が近代国家に生まれ変わる過程を見せてくれる。

1877年2月15日、60年ぶりといわれた大雪の中、鹿児島の私学校生を中心とした士族は西郷隆盛を擁して挙兵した。それから9月24日城山での西郷の死による終結まで、半年以上に亘る戦いが九州各地で続いた。日本最後の内戦であるこの西南戦争の結果が、外に向けた戦いの火ぶたを切らせてしまったとみることもできる。1877年3月1日から3月31日まで、現在の熊本県熊本市植木町大字豊岡で田原坂・吉次峠の激戦が繰り広げられた。兵器の質、量とも優っていたにもかかわらず、政府軍はこの田原坂で苦戦した。武器は既に刀から銃の時代になっていたが、銃の政府軍は薩摩士族の太刀・示現流に太刀打ちできなかった。この白兵戦(close combat;arme blanche)に対抗するため、警視庁から旧幕臣(士族)の剣豪を募り臨時編成されたのが『抜刀隊』であった。1885年(明治18年)、『新体詩抄』(1882)上で発表された東京帝大・外山正一教授(1848〜1900)の歌詞に、陸軍省に軍楽隊教師として雇われていたフランス人シャルル・ルルー(1851〜1926)が作曲した軍歌『抜刀隊』が、鹿鳴館での大日本音楽会演奏会で発表された。

下記の歌詞にある「古今無双の英雄」とは、なんと西郷さんのことなのだ。抜刀隊の活躍を歌ったものであるというのに、敵将である西郷さんを英雄と呼んでいる。外山教授には、1953年のペリーによる黒船来航が日本を特定の組織の支配下に置こうとした事件であったという視点があったのかもしれない。後年、この曲は陸軍で「分列行進曲」として採用された。現在に関しては、以下をご覧ください。


抜刀隊
作詞:外山正一 作曲:シャルル・ルルー

1.
吾(われ)は官軍我が敵は 天地容れざる朝敵ぞ
敵の大将たる者は 古今無双の英雄で
これに従うつわものは 共に慄悍決死(ひょうかんけっし)の士
鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ反逆を
起こせし者は昔より 栄えしためし有らざるぞ
敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
玉散る剣抜きつれて 死する覚悟で進むべし

2.
皇国(みくに)の風(ふう)ともののふは その身を護る魂の
維新このかた廃れたる 日本刀(やまとがたな)の今更に
また世に出ずる身のほまれ 敵も味方も諸共に
刃(やいば)の下に死ぬべきぞ 大和魂あるものの
死すべき時は今なるぞ 人に後(おく)れて恥かくな
敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
玉散る剣抜きつれて 死する覚悟で進むべし

3.
前を望めば剣なり 右も左もみな剣
剣の山に登らんは 未来のことと聞きつるに
この世において目(ま)のあたり 剣の山に登らんは
我が身のなせる罪業(ざいごう)を 滅ぼすために非ずして
賊を征伐するがため 剣の山もなんのその
敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
玉散る剣抜きつれて 死する覚悟で進むべし

4.
剣の光ひらめくは 雲間に見ゆる稲妻か
四方(よも)に打ち出す砲声は 天にとどろく雷(いかずち)か
敵の刃に伏す者や 弾に砕けて玉の緒の
絶えて果敢(はか)なく失(う)する身の 屍(かばね)は積みて山をなし
その血は流れて川をなす 死地に入るのも君が爲
敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
玉散る剣抜きつれて 死する覚悟で進むべし

5.
弾丸雨飛(うひ)の間にも 二つなき身を惜しまずに
進む我が身は野嵐に 吹かれて消ゆる白露の
果敢(はか)なき最期を遂ぐるとも 忠義のために死する身の
死して甲斐あるものなれば 死ぬるも更にうらみなし
われと思わん人たちは 一歩もあとへ引くなかれ
敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
玉散る剣抜きつれて 死する覚悟で進むべし

6.
吾(われ)今ここに死なん身は 君のためなり国のため
捨つべきものは命なり たとえ屍は朽ちるとも
忠義のために死する身の 名は芳しく後の世に
永く伝えて残るらん 武士と生まれし甲斐もなく
義のなき犬と言わるるな 卑怯者とな謗(そし)られそ
敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
玉散る剣抜きつれて 死する覚悟で進むべし

The real voyage of discovery consists not in seeking new landscapes, but in having new eyes.
(発見の旅とは新しい景色を探すことではなく、新しい視点で見ることだ)
マルセル・プルースト(1871〜1922)

西南戦争の結果が、日本を日清→日露→第一次世界大戦→大東亜戦争(第二次世界大戦)へと導いたとみることもできる。また、ペリーによる黒船来航事件の目的が無条件降伏により成就され、その結果が今日の日本だと捉えることもできる。西郷さんが私たち日本の民衆に伝えようとしたものは何であったのか。これも公表されてはいない。


笑顔の佳き週末を    感謝

(「抜刀隊」拙訳)
1.
我は官軍、我が敵は天地も許さぬ朝敵だ。
敵の大将である西郷さんは古今類なき英雄で、
彼に従う兵たちは全て決死の覚悟をした屈強な男たちである。
彼等は鬼神にさえ引けをとらない勇者たちではある。
しかしたとえ彼等が幾ら勇敢であるとはいえ、
天の許さぬ反逆を起して未だかつて栄えた者などはいないのだ。
敵が滅びるその時まで、一丸になって進めよ進め。
刃先きらめく剣を抜き持ちて、決死の覚悟で進もう。
2.
皇国日本の伝統的な慣わしとして、
武士は日本刀を自分の身を護る為に魂のごとく大事にしてきた。
その日本刀も明治維新以来すっかり廃れてしまったが、
西南戦争にあたって再び世に出る光栄を得た。
だからこそ敵も味方も一緒に刃のもとに死ぬべきではないか。
大和魂を持つ男児が死ぬべきなのは今ではないか。
人に死に遅れて恥をかいてはならない。
3.
前を眺め見れば剣、右も左もすべて剣ばかり。
地獄にあるという「剣の山」に登るのは
死して後のことだと聞いていたが、
まさかそれをこの世で目の当たりにするとは。
しかしこの「剣の山」に登るのは、己が身の罪を償う為ではない。
賊軍を征伐する為である。
だから「剣の山」だとはいえ何も恐れる事はない。
4.
剣の光は、まるで雲間にみえる稲妻のようだ。
四方でひびく砲声は、まるで空に轟く雷のようだ。
敵の刃に斃れる者や、
弾丸に身を砕かれて呆氣なく死んでしまう者たちの、
死体は積みあがって山のようになっている。
その死者の血は流れて、川のようになっている。
このような死地に突入するのも大切な人のためである。
5.
弾丸が雨のように飛ぶところにも、
掛け替えのない命を惜しまずに突き進む。
そんなわが身はまるで、
野嵐に吹かれて忽ち消えてしまう水滴のように果敢ない。
たとえ呆氣なく死んでしまうとしても、
忠義の為に死ぬのが意義のあることだとすれば、
死んだとしても何も思い残す事はない。
だから我こそはと思う者たちは、一歩もあとで引いてはならない。
6.
我が身の今ここに果てようとするは、大切な人と国家のため。
捨てるべきものは生命である。
たとえ死体は朽ち果ててしまうとも、
忠義に殉じた名は永久に語り継がれることであろう。
武士として生まれた甲斐もなく、
義のない犬や卑怯ものなどと罵られてはならない。