1881(明治14)年、政府が10年後に国会を開く約束をすると、国民の間から新しい政治のあり方を求めて、理想とする憲法案が、次々と発表された。憲法を考えるグループが生まれ、1881年に交詢社は『私擬憲法案』を編纂・発行し、植木枝盛は私擬憲法『東洋大日本国国憲按』を起草した。1968(昭和43)年に東京都あきる野市の農家の土蔵から発見されて有名になった憲法案は、地方における民権運動のハイライトである。明治時代、この土地が「五日市」という地名だったことから、今は「五日市憲法草案」と呼ばれている。「法律のもとに国民はすべて平等である」ことや「国民が政治に参加する」ことなど、国民の権利について細かく書かれている。204か条にも及ぶこの憲法案をつくったのは、五日市の農村の青年たちであった。日本の国を自分たちの手でつくり上げようと理想の憲法をつくったのだ。しかしながら、「五日市憲法草案」など民衆が考えた憲法案は、活かされることはなかった。

チト、驚いたことがあった。皇后陛下がお誕生日に際し、「宮内記者会の質問に対する文書ご回答」という形でこの五日市憲法草案を引用され、「市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」とおっしゃったこと。「今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます」と前置きしてのお話である。わが国の現状を憂慮なさったご発言に深い教養と胆識(勇氣)を覚えた。天皇陛下にご相談なさった上でのご回答であろう。それならば、このご回答は天皇皇后両陛下からのお言葉と捉えることもできそうだ。
皇后陛下お誕生日に際し(平成25年)
宮内記者会の質問に対する文書ご回答
問1 東日本大震災は発生から2年半が過ぎましたが,なお課題は山積です。一方で,皇族が出席されたIOC総会で2020年夏季五輪・パラリンピックの東京開催が決まるなど明るい出来事がありました。皇后さまにとってのこの1年,印象に残った出来事やご感想をお聞かせ下さい。

皇后陛下

 この10月で,東日本大震災から既に2年7か月以上になりますが,避難者は今も28万人を超えており,被災された方々のその後の日々を案じています。
 7月には,福島第一原発原子炉建屋の爆発の折,現場で指揮に当たった吉田元所長が亡くなりました。その死を悼むとともに,今も作業現場で働く人々の安全を祈っています。大震災とその後の日々が,次第に過去として遠ざかっていく中,どこまでも被災した地域の人々に寄り添う気持ちを持ち続けなければと思っています。
 今年は10月に入り,ようやく朝夕に涼しさを感じるようになりました。夏が異常に長く,暑く,又,かつてなかった程の激しい豪雨や突風,日本ではこれまで稀な現象であった竜巻等が各地で発生し,時に人命を奪い,人々の生活に予想もしなかった不便や損害をもたらすという悲しい出来事が相次いで起こりました。この回答を準備している今も,台風26号が北上し,伊豆大島に死者,行方不明者多数が出ており,深く案じています。世界の各地でも異常気象による災害が多く,この元にあるといわれている地球温暖化の問題を,今までにも増して強く認識させられた1年でした。
 5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。(後略)http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h25sk.htmlより転載
皇后陛下お誕生日に際してのご近影

閑話休題(それはさておき)


上から目線(支配層目線)で自主憲法制定!とか、押しつけ憲法反対!なんて言ってしまうから、本来、私たち民衆の手で作り上げる憲法の課題が先の大戦後(1945年)から始まったかのような錯覚に陥ってしまう。民衆の目線で見たなら、西南戦争(1877年)以降の農村指導者層を中心にした「豪農民権」と呼ばれる運動に自主憲法制定の精神の開闢(かいびゃく)を知ることができる。その運動のさ中に誕生した「五日市憲法草案」は、輸出・財政主導型高度経済成長第二期(1965〜1973年)に、ひょっこりと顔を出したのであった。

私たち民衆が暮らすこの社会は、何者かの仕掛けによっていとも簡単に崩壊(disrupt)させられてしまう。国民の権利を大切にという皇后陛下のメッセージは、自由という権利をあらゆる権力(powers)から意識して護り通してください、と伝わってくる。社会崩壊への危機を意識なさっていらっしゃるのかもしれない。

時空や自由は、自ら追い求めるところにその醍醐味が隠されている。
自由という権利を暴政の捧げものにしてはいけません。
今、ボーッとしている場合ではないのです!

SunSuntと輝く朝陽を浴びながら

笑顔の佳き日々を   

感謝

【追記】
17の直営ホテルと33のチェーンホテルを全国展開している日本屈指のホテルグループ「阪急阪神第一ホテルグループ」と66病院を含む280以上の医療施設を持つ日本最大の医療グループ「徳洲会」の一件では、彼らに組織運営上の油断があったのは確かだが、これら日本土着の組織を必要以上に叩いて崩壊させてはいけない。この事件の背後で、主要条項が秘密化されているTPP(自由貿易構想)で利を得る外資グループの食指が動いたのかもしれないのだから。(以上)