先の大戦の激戦地サイパンや硫黄島などを、自らのご意志で訪れた今上天皇と皇后の魂には、たぶん、約束ごとのようなメッセージが天界から伝えられている。それは、2011年3月11日以後のおふたりの行動を見ても、明らかとなるだろう。
天皇皇后両陛下 沖縄訪問の方向で調整
(NHK 3月18日 19時45分)
 太平洋戦争中、沖縄から九州に向かう学童疎開船の「対馬丸」が、アメリカ軍に撃沈されて70年になることし、天皇皇后両陛下が悲劇を伝える記念館に足を運ぶため、沖縄県を訪問される方向で調整が進められていることが分かりました。
 「対馬丸」は太平洋戦争中の昭和19年8月22日、疎開する学童らを乗せて沖縄から九州へ向かう途中、鹿児島県の悪石島沖でアメリカ軍の潜水艦に撃沈され、確認されただけでも977人の15歳以下の子どもたちを含む1500人近くが犠牲になりました。
 関係者によりますと、沈没から70年になることし、両陛下が悲劇を伝える記念館に足を運ぶため、沖縄県を泊まりがけで訪問される方向で調整が進められているということです。
 訪問の時期は6月下旬を軸に検討が行われていて、両陛下は10年前、那覇市に開館した「対馬丸記念館」を訪れ、対馬丸の生存者や遺族にも面会するほか、糸満市の「国立沖縄戦没者墓苑」なども訪ねられる見通しです。
 両陛下の沖縄訪問は、おととしの「全国豊かな海づくり大会」以来2年ぶりで、皇太子夫妻のときからですと10回目になります。
 両陛下は、戦後50年に当たる平成7年に沖縄や広島、長崎などを回り、その10年後には太平洋の激戦地サイパンも訪れていて、戦後70年を翌年に控えた沖縄への訪問も、戦争と向き合い、平和への思いを表されるものとなりそうです。

両陛下対馬丸への思い
 戦争中に学童疎開を経験し、対馬丸が撃沈された昭和19年当時、小学生だった両陛下は、対馬丸の悲劇に強く心を寄せられています。
 対馬丸は、大正初期に建造された民間の貨物船で、太平洋戦争中は旧日本軍に徴用されて軍事輸送に使われました。
 終戦前年の昭和19年7月、本土防衛の重要拠点と位置づけられていたサイパンが陥落すると、政府は沖縄での戦闘に備えて、県内の子どもや女性、それにお年寄りたちを疎開させることを決め、対馬丸は疎開船としての役割も果たしました。
 8月22日、対馬丸は国民学校の学童などを乗せて九州に向かっていましたが、鹿児島県の悪石島沖でアメリカ軍の潜水艦に撃沈され、確認されただけでも977人の15歳以下の子どもたちを含む1500人近くが犠牲になりました。
 沖縄では昭和20年3月までの9か月間で、九州や台湾などにおよそ8万人が疎開しましたが、延べ187隻の疎開船のうち、撃沈されたのは対馬丸だけでした。
 戦争中はかん口令が敷かれ、表立って被害を語ることはできませんでしたが、戦後、那覇市に慰霊碑が建てられ、遺族たちが毎年、対馬丸が撃沈された8月22日に慰霊祭を行ってきました。
 平成9年には、海底に沈んでいた対馬丸の船体が発見され、翌年、2回にわたって政府主催の洋上慰霊祭が行われました。
 遺族たちは船体の引き上げを求めましたが、技術的に困難だとの結論が出され、代わりに対馬丸の悲劇を伝えるための記念館が那覇市に建設されました。
 記念館では、犠牲になった人たちの遺品が展示されているほか、対馬丸が撃沈された際に生き残った人たちが語り部となって、当時の体験を伝えています。
 天皇陛下は、平成9年12月の記者会見で、53年ぶりに海底で発見された対馬丸の姿を数日前テレビで見たことに触れたうえで、「私と同じ年代の多くの人々がその中に含まれており、本当に痛ましいことに感じています」と述べられました。
 この年には、「對馬丸見出ださる」と題して「疎開児の命いだきて沈みたる船深海に見出だされけり」という短歌も詠まれています。
 また、皇后さまも、戦後60年を迎えた平成17年、71歳の誕生日にあたっての文書で、「対馬丸の撃沈で亡くなった沖縄の学童疎開の児童たちも、無事であったなら、今は古希を迎えた頃でしょう。遺族にとり、長く、重い年月であったと思います」とお気持ちを述べられています。
 両陛下は、対馬丸が見つかった翌年の平成10年、政府主催の洋上慰霊祭が行われた際、お住まいの御所で黙とうをささげ、おととし沖縄を訪れた際には、宿泊先のホテルのロビーで出迎えた関係者とことばを交わすなど、機会あるごとに対馬丸への思いを示されてきました。

両陛下の沖縄訪問
 天皇陛下はこれまで、皇太子として5回、即位後に4回、皇后さまと沖縄を訪ねられていて、今回の訪問が10回目となります。
 最初の訪問は昭和50年。
 沖縄国際海洋博覧会の名誉総裁として開会式に出席されるためでした。
 戦後30年を経てもなお県民に複雑な感情が残るなかでの訪問で、女子学生たちの慰霊碑「ひめゆりの塔」を訪ねられた際には、訪問に反対する過激派のメンバーが火炎瓶を投げつける事件が起きました。
 昭和62年には、病気療養中のため訪問がかなわなかった昭和天皇の名代として、沖縄で開かれた国体の開会式に出席されました。
 即位後の平成5年には、全国植樹祭に出席するため、歴代の天皇として初めて沖縄を訪れ、平成7年にも戦後50年の「慰霊の旅」で再び沖縄を訪ねられました。
 その後も、平成16年には「国立劇場おきなわ」の記念公演を鑑賞するため、また、おととし11月には全国豊かな海づくり大会に出席するため、沖縄を訪問されています。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140318/k10013071261000.htmlより転載

天皇家の仕事は、日本国憲法第1条に記された「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴統合の象徴で」あるよりも、日の本たる日本(大御體:おおみからだ)と私たち民衆(大御宝:おおみたから)のために祈念し言動にそれを現すこと(大御心:おおみこころ)。すなわち、政(マツリゴト)である。マツリは「真釣」であり、「魔釣」でもある。政を司る者には、真理を釣りあげる能力と、魔を見極めて釣り出す能力の二つが必要とされる。真の政をする能力とは、天道よりは魔道を選択し歩もうとする特性を持った私たち人間が形成する社会集団から魔的なものを釣り出し、排除していくこと。だから、魔的なものを学び乗り越えた者でなければ政治はできない。現代の世界の政治家は欲望の調整係レベルで、本来の政治をしていない。ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolo Machiavelli:1469〜1527)は、『君主論(Prince)』に「君主は、悪しきものであることを学ぶべきであり、しかもそれを必要に応じて使ったり使わなかったりする技術も、 会得すべきなのである」と記した。政治は魔的なものであるが、正しく学び知ることができるのなら、魔に負けて服従せずとも、政治はできる。

東洋における統治を成り立たせる根本的なルールは、天の意を受けて、この世に理(ことわり)による道をつくること(道理)にある。それは、日の本(日本)では、言霊(人間の心の先天構造)の原理を継承・保持する「アマツヒツギ(皇位)」と呼ばれたり、人間精神の原理に基づき世界人類の心を統一する「スメラミコト(天皇)」と呼ばれたりする、天によって選ばれ送り出された身魂(みたま)の持主にアサインされた義務である。見極めのポイントは、利他の精神の有無。東洋の精神は、「世の為、人の為」という人間本来の魂のあり方を今生で追求するように、福化(進化)してきた。それは、経済という言葉が「経世済民」に由来することにも示されている。これが、マツリゴトたる政治のエッセンス。しかしながら、昨今の欲深な資本主義の前に「経世済民」は消えてなくなりそうだ。昔話を紐解いて、『花坂爺さん』の意地悪爺さんや『舌切り雀』の大きいつづらを開けて しまったおばあさんなど、強欲に駆られた人物と社会の行く末を魂にリライトする(想いだす)ことが必要。進化し続ける智慧である。

誰かが救済してくれるという救世主願望もあろうが、人間はみな神の子であるということを知ったなら、自分という小宇宙の救世主のライセンスは自分以外には与えられていないことに氣づく。さもなければ、自分の欲望のためだけに生きるようにプログラムされがちな現代文明の迷子になってしまう。2012年には、精神世界の情報にアクセスした人々が、本来は(キリストの)昇天を意味したアセンション(ascension)という言葉を惑星地球の次元上昇の意味で広め、古代中米に栄えたマヤ文明の暦が区切りを迎え「マヤの予言」で世界が滅びるとされた12月21日の終末予告とリンクさせ、日の本の民である私たち日本の民衆とは無縁のスピリチュアル・ビジネスを展開した。これは、日の本を目覚めさせないディスインフォメーションにも見えた。物質世界の対義語としての精神世界の情報が輸入物と過去の人間霊のストーリーに物質化された時代でもあった。

進化するという覚醒への道を歩む人間の要諦は、精神的な能力が限りなくブッタやイエスに近いということ。この能力を持った時、私たちは自分自身の中にブッタを再受肉化し、イエスを再受肉化して、彼らの段階を乗り越えた新しい舞台に立つことになる。肉体を持ったひとりのブッタやひとりのイエスが私たちの目の前に現れるのではなく、彼らと同じ能力を持って次のステージへ進む人が何百、何千、何万も現れる。日本の人口1億2,000万人の0.1%の12万人、1,000人に1人(1厘)が目覚め、そこへ神や神々が情報を伝えてきたなら。それこそがお社(オヤシロ)であり、本物の神社。ご自分の魂が天界からのコンタクトを感知したなら、人間として健全であることを心掛け、他者の不幸や悲惨へ関心を持つ利他の精神、自らが未来を切り開いていくフロンティア・スピリッツを意識し福化したい。
007白山連邦
一昨日、小松市に暮す友人のEI女史が送ってくれた雪を頂いた白山。


大きな笑顔の佳き木曜日を

SunSunの朝陽を浴びながら  感謝

(追記)

両陛下、伊勢神宮参拝へ 20年ぶり「剣璽動座」も
(西日本新聞 2014年03月06日(最終更新 2014年03月06日 22時04分)
 宮内庁は6日、20年に1度、社殿を造り替え、ご神体を移す式年遷宮「遷御の儀」を昨年終えた伊勢神宮を参拝するため、天皇、皇后両陛下が25〜28日の日程で私的に三重県伊勢市などを訪問されると発表した。
 この間、皇位とともに伝わるとされる「三種の神器」のうち、剣と璽(じ=曲玉)を携える「剣璽動座」も行われる。剣璽が皇居から持ち出されるのは、前回の式年遷宮後に伊勢神宮を参拝した1994年以来、20年ぶり。両陛下の神宮参拝は2001年11月以来。
 宮内庁によると、両陛下は25日に伊勢市入りする。
天皇皇后両陛下@1990年11月伊勢市
三種の神器の剣(後方)と共に伊勢に到着された天皇、皇后両陛下=1990年11月、三重県伊勢市の近鉄宇治山田駅
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/73970より転載