モスクワで発生した幻日。大空に3つの太陽が現れた。2014年1月19日撮影のようだ。

出雲大社での光景。2つの太陽(幻日)、光の輪(内暈・うちがさ)そして逆さまの虹(環天頂アーク)の3つを目にできる。大空をキャンバスにして珍しい光景が映し出された。2013年10月17日午後3時半頃の景色だという。



閑話休題(それはさておき)


一昨日、久々にI.U.氏から電話をいただいた。彼はニューヨーク州立大学時代の同窓。今は、在沖縄合衆国海兵隊の基地でリエゾン・オフィサー(渉外官)として仕事している。真摯な彼は、毎週地元住民と共に海兵隊員たちも学ぶ英語クラスのテーマを何にしようか、頭を悩ませている。次回は『貧困』。そこで、日本社会の指標には「poverty line(貧困線)」が存在しないのは不思議だという話になった。それは、生活に必要な最低限の物を購入することができる最低限の収入水準にあることを表す統計上の指標。

合衆国連邦政府が設定した2012年の貧困線は、5人家族で2万7010ドル。合衆国社会保障局(Social Security Administration)が2013年11月11日(現地時間)に公表した統計によれば、一昨年1年間の賃金所得が3万ドルに満たない労働者は、全体の半数以上(8170万人;対象所得者は1億5360万人)にのぼる。労働者の半数弱が貧困線以下であり、貧困と位置付けられる。

日本の場合は、等価可処分所得の中央値の半分を貧困線とし、平成21年は112万円(実質値)であった。「大人が一人の世帯員」は半数が貧困線以下。(参考:平成22年国民生活基礎調査の概況「7 貧困率の状況」)しかしながら、日本には貧困の定義がなく、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(憲法25条)に必要とされる生活保護基準が実質的な公的貧困線となっている。その金額は、標準3人世帯(33歳、29歳、4歳;東京都区部など1級地-1)で年収約204万円。同じ標準3人世帯でも、地方郡部など3級地-2だと、年収約160万円となり格差がみられる。日本政府は貧困をクリスタライズ(実体を明らかにすること)して、貧困の存在を認めて、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(憲法25条)という日本国家としての社会的使命を担う必要がある。にもかかわらず、一昨年ころから、「生活保護基準以下の所得で暮らす人々がいるのだから生活保護費を引き下げよ」という主張が国会議員らにより開陳され始めた。日本に貧困層があることは明らかなのに、貧困を撲滅するという使命が希薄だ。そればかりか、生活保護基準が担う公的貧困線の意義を憲法25条から遠ざける。(参考:厚生労働省 生活保護制度

神戸大学准教授の関根由紀女史が、2007年に『日本の貧困−増える働く貧困層』と題して、白眉な問題提起をなさっている。彼女が7年前に指南なさったことを日本社会は今も受け入れていない。
日本には公式な「貧困ライン」が存在しない。また政府は, 日本には現在深刻な貧困問題は存在しないとの見解から, 貧困調査を行っていない。しかし実際に貧困は日本においても深刻な問題となりつつある。失業は貧困の直接的な要因である。完全失業率は, ここ数年で再び低下傾向に転じてはいるが, その一方で雇用市場は大きく変化しており低賃金,低保護の不安定な非正規雇用が安定的な正規雇用に置き換わり, 拡大している。特に若年失業, 母子家庭の母親など稼動年齢にある者は, 就労機会の確保が困難であるうえに就労しても十分な生活費を得られない, いわゆる「働く貧困層」となる危険を抱えているが,最近まで, 最後の救貧制度である生活保護行政は, 障害, 高齢などで就労が不可能な者に保護の対象を厳しく限定し, 就労可能と見られる者には保護を行わない運営を行ってきた。しかし近年, 上述のように雇用市場の変化により就労による生活維持基盤が脆弱な者の数が増加し, 中高齢者の失業は長期化傾向にあり, 雇用保険の受給期間中に再就労できない場合が増えている。厚生労働省はこのため「稼動能力の活用」の要件により保護を必要とする者を排除することのないよう実施する指導をしているが, 他方で十分な財政確保がされていない。国の防貧, 救貧政策はあくまでも就労機会の確保による経済的, 社会的「自立」を図ることだが, これは被保護者の「自立能力」を問題としたパターナリスティックなアプローチであり, 現在の貧困問題のごく表面的な解決策でしかない。労働・雇用の質的向上と基礎的な生活保障の確保を図らなければ潜在的貧困が増加する。

おわりに
 本稿を, 在外研究中のパリで仕上げている。近年フランスに来るごとに感じることは, 街中や地下鉄の中に野宿者, 物乞いをする人が多いことである。
 福祉の発達したこの国でも貧困は深刻な問題であり, 大統領選挙中の候補者の公約・討論の中でも中心的な課題となっている。
 それとは対照的に日本では, 道で物乞いをする人は見当たらない。ホームレスの人々も, 自ら廃物回収などから僅かな収入を得つつ食いつなぎ,物乞いをする姿は見たことがない。日本では貧困は見えにくい。しかしその一方で生活保護を受給できずに困窮して餓死してしまったという, 信じがたく, 悲惨な事件をしばしば耳にする。生活保護受給世帯は2004 年に100 万世帯を越え, 受給者数は百三十数万人となっており, 生活保護制度の捕捉率を仮に20%とした場合, 最低生活基準程度の所得しか得ていない世帯数は約5 倍の500万世帯ということになる。
 若年失業も上昇しており, 雇用も不安定化し,人口構造的にも少子化高齢化は将来の社会保障財政を圧迫し, 貧困の潜在的要因が揃っている。
 このような状況に対し, 政府は貧困問題を軽視し, 正確に調査・分析するための指標は曖昧なままで, 問題の存在を認めることに消極的に過ぎると言わざるをえない。
 保護行政の実施においても, このような姿勢が現れている。例えば受給対象者を極端に制限することは, 社会福祉財政を抑制するという目的以外に, 社会的弱者の存在や貧困問題を最小化させるという結果ももたらす。保護受給者に対する勤労義務の強調や, 厳しい就労指導は, 困窮状態に陥ったことが一次的に当事者の欠陥, 過失によるものであると捉え, 強調し, 社会構造, 経済構造の中に潜むその他の貧困の要因を追求することを阻害する。
 保護受給者, 及びホームレスの社会的, 経済的「自立」支援策は有効であり, 政策上正しいが,他方である意味においては「自立」した生活を独自に営むことに失敗したと判明した者に対するパターナリスティックな措置制度としての性格を有することも否定できない。
 政府は現在, 貧困問題を過小評価し, 認知していないような印象を与えている。しかし日本における貧困の規模, 社会経済構造的要因, 望ましい対策について, 正面から取組むことは急務となっており,その第一歩として, 調査, 研究を行う指標として, 政府が認める公的貧困ラインを定めることが望ましい。
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2007/06/pdf/020-030.pdfより転載

昨年2013年、同志社大学社会学部特任助教の山村りつ女史は、『子どもの貧困をどう捉えるべきか』と題して新たな視点から日本の貧困について提言なさった。子らの貧困は日本社会の未来につながる問題であり、私たち日本の民衆にクリスタライズされる必要がある。
2 .子どもの貧困の指標
 どの程度の子どもが貧困状態にあるのか、ということを示す際によく用いられるのが、さまざまな国際機関によって算出されている子どもの相対的貧困率である。この指標によれば、2010年国民生活基礎調査で示された値で日本の子どもの相対的貧困率は15.7%とされ、また同時に、これがひとり親家庭に限った場合には50.8%に上ることも、これまでたびたび指摘されてきた点である。
 これらの数値は等価可処分所得の中央値の半分の値を貧困線として、それよりも所得の低い世帯の割合として算出される。その結果示されたこれらの値が高いのか低いのか、ということが議論における次の展開となるわけだが、そこでよく登場するのが、他の国々との比較による整理である。たとえば、日本政府が「平成23年版子ども・若者白書」で示した内容によれば、わが国の子どもの相対的貧困率は30か国中第12位(ちなみに全体では4位)であり、先進諸国のなかでは5本の指に入る勢いであるというものだ。さらにひとり親家庭の場合については、こちらはすでにその数値自体が高いといえる水準にあると思われるが、さらに先ほどの順位が第1位に上がり、アメリカよりも高い数値となる点などが指摘される。つまり、豊かなイメージのある日本の貧困率が、それほどまでに高い水準にあることが問題だ、ということである。
 これらの数値は、ひとつの情報として非常に意義のあるものであるし、信頼性のあるものでもあるだろう。特にひとり親家庭の貧困率約50%という数値は、大きなインパクトを与えるものである。しかしながら、この数値からもやはり子どもの貧困の実態はみえてはこない。もちろん、そもそもこれが、そういったものを示すための調査データではないということもある。だからこそ、この数値だけをみても、おそらく多くの人は自分の身の回りから得る実感との齟齬を感じるのではないだろうか。実際に、それほど多くの貧困世帯で暮らす子どもがこの国にいるのだろうかと。
 この貧困率と呼ばれる数値が示すのは、平均所得の半分以下の所得で生活する子どもの割合である。しかしながら子どもの貧困の実態を捉えるには、それではその平均所得の半分以下での生活とはどのようなものなのだろうか、という問いに答えなければならない。(後略)

5.わが国の実情を踏まえて
 これまでにあげてきたような貧困状態が子どもに与える影響は、基本的に日本を含むさまざまな地域に共通したものと考えることができる。しかしながら、この問題への対応には、たとえば貧困世帯の親の就労率の高さなどの個別の特徴にも配慮が必要だといえるだろう。特に貧困世帯に育つ子ども達を取り巻く環境として、わが国に特徴的といえる事象が、施設ケアによる社会的養護の割合の高さであるだろう。いわゆる児童養護施設でのケアの存在である。
 家庭での養育が難しい子どものケアについては、一般に大きく分けて里親などの家庭的環境でのケアと、児童養護施設などの施設でのケアが存在する。わが国は、この両者の割合において施設ケアの割合が非常に高いことが知られているが、実は貧困であることは、子どもの養育が難しいとする主要な理由の一つとなっている。また社会的養護を要する別の理由である児童虐待なども、その家庭の経済状態と必ずしも無関係でないことが推察される。つまり、児童養護施設で生活する子ども達もまた、世帯における貧困状態の影響を受けている子ども達ということができるのである。
 児童養護施設での生活は、低所得の家庭のなかでの生活とはまた異なる影響を子ども達にあたえる。時には必ずしも物質的な不足が感じられないような環境もあるかもしれない。しかしながら彼らはそれ以前に家庭生活を剥奪された状態ともいえ、その影響は計り知れない。近年では児童養護施設で育った子ども達の施設退所後の生活のつまづきについて、施設などが中心となって統計的な資料が作成される例も増えている。このような課題については、現在のところ施設でのケアをどのようにするべきかという施設内部の課題として多くは捉えられているが、同じ子どもの貧困の問題として、社会としてこの課題にどう取り組んでいくべきかという視点が求められるだろう。
 子どもの貧困の問題は、わが国において現在進行形の課題であり、また未来につながる問題である。また、彼らの養育者である大人の貧困の問題でもあり、そこには労働や子育てにおける問題がかかわっている。現在のわが国の社会的構造の在り様が貧困状態にある子ども達を生み出し、またその構造によって次の世代の子どもの貧困が引き起こされている状況がある。これらの点を鑑みれば、子どもの貧困に纏わるさまざまな問題の解消には、現在貧困状態にある子ども達のケアという側面と、その社会的構造の変革という側面の両者における効果的な取り組みが求められるといえる。
www.iewri.or.jp/cms/docs/201311_12tokusyu1.pdfより転載

1959(昭和34)年の今日4月30日朝、永井荷風は市川市八幡町の自宅で遺体で発見された。胃潰瘍に伴う吐血による心臓麻痺と診断。傍らに置かれたボストンバッグの中には、総額2334万円越の銀行預金通帳と現金31万円が。全財産を常に持ち歩くという習慣の通りであった。享年79歳。享年100歳で昇天なさった新藤兼人監督は、荷風の研究家としても知られた。彼は、荷風が浅草で食べた最後の食事は「アリゾナ」ではなく蕎麦屋の「尾張屋本店」ではなかったかという疑問を呈した。荷風研究家の松本哉氏は『永井荷風のひとり暮らし』(1999年・朝日文庫)で彼の説を支持した。新藤監督はこんな言葉を残してくれた。
人は老いれば、老いというものの中にいろんな問題を抱えます。金銭的に恵まれないとか、健康を害するといったことです。しかし、生き方の成り行きの中でそれらにまみれて自滅していくのはやはり悲しい。できれば、闘いながら終わっていきたい。そのためには何のために生きるかという自分の意志や個性、生き方をしっかり持っていなければならないと私は思います。


大きな笑顔の佳き水曜日を

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