第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会で、大日本帝国は人種差別の撤廃を明記するべきという人種的差別撤廃提案(Racial Equality Proposal)を主張した。しかし、大英帝国自治領であったオーストラリアやアメリカ合衆国上院が反対し、合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンの裁定で否決された。しかしながら、これは国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した世界最初のプレゼンであった。これぞ、大和魂(やまとだましい)。四海同胞、世界の人々は一緒に手をつないで仲良くするものだという方向性を示唆した。打算や私欲を乗り越えて、こころの底から世界の平和と人間の幸福を願う姿勢(philosophy)でもあった。

「大和魂(やまとだましい)」という言葉を、Yamato Damashii として海外で紹介したのは新渡戸稲造であった。彼によって英文で記された『武士道』は、1900(明治33)年に合衆国の首都(当時)フィラデルフィアで出版された。日清戦争で初めて海外にその名を馳せた新生日本が、世界に知られていないばかりか、誤解されていることに氣づいた彼の世界へ向けた啓蒙の書であり、世界的なベストセラーとなった。

本書では、武士道に象徴される日本人の生き方と考え方が紹介されている。彼によれば、武士道は儒教と仏教の長所を継承していながら義を中心にして勇・仁・礼・誠と名誉を重んじるのだから、騎士道と共通している。キリスト教の長所やバークレーやフィヒテの理想主義にも通じている。しかしながら、武士道はキリスト教の「愛」が欠けていると思うから、武士道とキリスト教が包摂し合えば、更にすばらしいものになるのではないか。日本はキリスト教に肩を並べるだけの道徳の伝統があるという内容。
In manifold ways has Bushido filtered down from the social class where it originated, and acted as leaven among the masses, furnishing a moral standard for the whole people. 武士道は、その生みの親であった社会階級から多様な道筋を経て流れ出し、さまざまな形で、大衆の間に酵母として作用し、日本人全体に対する道徳的規準を供給した。The Precepts of Knighthood, begun at first as the glory of the elite, became in time an aspiration and inspiration to the nation at large; and though the populace could not attain the moral height of those loftier souls, 騎士道の最初はエリート(選良)の光栄として始まったが、時を経るに従い国民全体の志及び感化となった。しかし平民は武士の道徳的高さまでは達し得なかったけれども、yet Yamato Damashii, the Soul of Japan, ultimately came to express the Volksgeist of the Island Realm.大和魂は日本の魂として、遂には島帝国の民族精神(フォルクスガイスト)を表象するに至った。If religion is no more than "Morality touched by emotion," as Matthew Arnold defines it, few ethical systems are better entitled to the rank of religion than Bushido. もし宗教というものが、マシュー・アーノルドの定義した如く、「情緒によって味付けされた道徳」に過ぎないのなら、武士道ほど宗教と呼ぶに相応しい倫理体系は他にはないだろう。Motoori has put the mute utterance of the nation into words when he sings:— 本居(宣長)は、国民の声にならない声をこのような歌にした。

"Isles of blest Japan! Should your Yamato spirit Strangers seek to scan,
Say—scenting morn's sun-lit air, Blows the cherry wild and fair!"

敷島の 大和心を人 問はば
朝日に 匂ふ 山桜花

(参照:http://www.gutenberg.org/files/12096/12096-h/12096-h.htm


大切なポイントは二つ。ひとつは、新渡戸博士は「大和魂(やまとだましい)」を日本の民衆の魂であり、民族精神(フォルクスガイスト)であるとしたこと。そしてもうひとつは、大和魂は武士道とは違うと見極めていたこと。大和魂>武士道。

(追記)
日清日露戦争頃からにわかに唱えられた「大和魂」は現状打破的突撃精神の意味であった。これが本来の大和魂とは違うという指摘は、先の大戦中も多くの学者によりなされた。奥村伊九良著『大和魂―歴史篇(日本の美と教養7)』(一條書房・1944年)では、諸例として以下の点が指摘されている。
(1)源氏物語・乙女の巻
「なほ才をもととしてこそ、やまとだまし ひの世にもちゐらるる方も強うはべらめ」
 光源氏は息子の夕霧をいきなり高位高官につけず、学問もさせ、世間的常識を身に着けさせようとした。才(漢学の教養)に裏付けられた世間的常識こそ、大和魂であった。
(2)大鏡 左大臣時平の逸話 
 学問一途で融通の利かない右大臣菅原道真より、総合的見識があり、臨機応変で、法典(格式)編纂能力のある時平を賞賛したくだり。
(3)今昔物語 巻二十九 明法(みょうぼう)博士善澄被殺強盗語第二十
 学者の善澄は強盗に立ち向かい殺された。
「善澄才は微妙(いみじ)かりけれども、露(つゆ)、和魂(やまとだましひ)無かりける者にて、心幼き事を云て死ぬる也とぞ、聞きと聞く人に云ひ被謗(そしられ)けるとなむ語り伝へたるとや。」
 善澄が猪突猛進して殺されたことを謗ったもので、大和魂は沈着冷静な常識的判断を指している。猪突猛進は軽蔑されている。
(4)愚管抄
(5)詠百寮和歌(群書類従巻七十二)
大和魂・大和心は、平安時代の宮廷文化で成立したもので、漢魂・漢意(漢心)に対応し、「才」(漢的教養)を基にした世渡りの常識という意味が強い。菅原道真と対立した左大臣時平に大和魂があり、暴漢と闘って殺された学者には臨機応変に難を避ける大和魂がなかったと評されている。(以上)


閑話休題(それはさておき)


原文が英文である本書の和訳は、1908(明治41)年に桜井鴎村によるものが出版された。これは漢文調で、読者の漢籍の素養を前提としていた。現代日本語訳は、1938(昭和13)に矢内原忠雄により岩波文庫として世に出された。すでに日中戦争に突入していた大日本帝国は、後戻りできない時期に入っていた。

第一陣・神風特別攻撃隊には、本居宣長の自讃(上記)からとられた敷島・大和・朝日・山桜という隊名が附されていた。日本文化における桜の美的な価値と、なぜ、このような悲劇が起こったのかを、特攻隊員の手記を分析して究明したものに、大貫恵美子著『ねじ曲げられた桜―美意識と軍国主義』(岩波書店・2003年・607頁)がある。著者は、明治の大日本帝国憲法をはじめ、軍国主義の発展を分析。そして、特攻隊員の遺した記録を読み解き、桜の美的価値と象徴によるコミュニケーションに伴う「解釈のずれ」を中心に、国家主義・理想主義がいかに民衆の持つ郷土・家族への愛情という「象徴的誤認」をともなって浸透していったのかを検証した。平和への願いが伝わる、実り多き一書である。

童謡「ふるさと」を聞いていると、世界の人々がみな一緒に手を繋いで仲良くするという『志を果たして』、天に帰ろうと聴こえる。


大きな笑顔の佳き水曜日を    感謝