この時期、私たちは戦争体験者による悲惨な事実を見聞する機会に恵まれる。もちろん、それは戦争を抑止する大きな力ではある。しかし、見聞のみでは、揺るぎない平和の実現はほど遠い。また、情緒のみの言葉で自由に語り合ったところで、生まれいづるものは戦争に対する嫌悪感、そしてできることなら自分は正義を貫く好人物たり得たいという願いで終わってしまう。

戦争というものを語るのなら、次の2点には言及したい。

1)なぜ戦争に加担したのか。
2)なぜ戦争の結果を事前に想像できなかったのか。

この2点に言及して初めて、繰り返し語ることの意味が生まれる。さもなければ、悲惨な思い出のステージに私たちのマインドを引き留め、平和の実現から遠ざけてしまう。

経済的な独立または自由を獲得するために、私たち民衆は目に見えない鎖とマネーに繋がれている。この事実を戦争体験とリンクする必要がある。戦争に加担せざおえない空氣はこの状態を拠所にして増産されている。愛よりも生活費を稼ぐ仕事が最優先事項(プライオリティ)になってしまうと、鎖とマネーから私たち民衆を解放する新しい空氣は邪魔になる。だから、知らず識らずに戦争に加担せざおえない空氣を吸い込んでしまう。

今も地球のどこかで無慈悲な破壊や殺戮が続いている。多くの老若男女・兄弟姉妹がこの世の地獄に泣き叫び、飢えや渇きに苦しんでいる。私たち民衆こそが、老若男女・兄弟姉妹を助ける愛の魂となりたいものだ。魂そのものである私たち人間は、戦争という他国の見ず知らずの恨みも何もない人間を殺してしまう行為により、まあるい魂を凹(へこ)まされる。他者の命を奪ったことで、叙勲や表彰や讃辞くらいでは帳消しにできないほどに、底知れぬ罪悪感と嫌悪感を生涯に亘り自ら背負い続け、悪夢に苛(さいな)まれる。殺さなければ、殺されたのだと自分に言い聞かせようとも、悪夢は消えることがない。挙句の果てに、凹んだ魂が脳の器質的変化や機能的障害をもたらす。その責任や苦しみを肩代わりできるほど、国家はオールマイティー(Almighty:全能者)ではない。

世界平和の理想は、全世界の軍備が撤廃されたときはじめて実現する。

物質世界の酩酊から覚め、己の刹那的感情・欲望・思考を乗り越え、独善に陥ることを警戒し、他者を崇拝し盲目的に自身を委ねてしまうことなく、自らの足元と周囲を照らし、智恵の導きに順い積善を成し遂げたい。


大きな笑顔の佳き日々を   感謝
朝陽(140815_044921)
旭ケ丘の朝陽@8月15日午前4時50分

(追記)
笹井博士の事件に関しては「生命科学(2)」の(追記3)と(追記4)をご覧いただきたくお願いいたします。(以上)