このお盆には家族皆でお墓参りをした。祖母の冥福を祈り、こうして家族が無事に暮らしていることを伝え、ご先祖さまに感謝する。お墓参りのときには、小さな子らを連れた家族に出会う。小さな彼らがお墓の意味を分かるには時間を要するだろう。しかしながら、子らは親たちの姿・行為を見てご先祖さまへの供養はどのようにするのかを知らず識らずに覚え、子らの心は素直にご祖先さまを敬い感謝する氣持ちを感じてくれるに違いない。このような高い精神活動に伴って起こる感情を大切にしたい。それは情緒より知的で安定感があり、持続できる生活態度であり、日本の文化である。

お昼ご飯を皆でいただき、午後3時に帰宅。書斎で昔のメモ帳を久々に見返す。十数年前に出口眞人氏の知遇を得て京都府亀岡市天恩郷に5日間滞在させていただいたときに記したもの。有難いことであった。
すんだことは忘れることにしよう。・・・みんな忘れてしまっても、より賢くなっていればよい。・・・どんなことでも、それを踏み台として、一段上へ、より賢くなることを、まず心がけたい。そして、その踏み台に、いつまでも執着しない。こうして、無限に、より真に近づいて行くところに無限の愉楽はある。この愉楽は自分がいかなる境遇に置かれていようとも、求めることができる。

何事も善きに解釈して、ありがたくうれしく日々を送る心になれるなら、もう天国は吾の所有となっている。何事も神意に任せて、あせらず、あわてず、その日その時のベストを尽くして、一生を一日のごとく、悠々とおくる工夫をしたい。

この人生では真剣にならざるを得ない重圧や環境に見舞われることがある。それはすべてを真剣に考えられるようになる契機。ものの有難味がわかる、有難くなり切るには、理屈や理論ではなく、真剣になるに限る。


さあ、大きな笑顔で邪氣妖氣を払って参りましょう

感謝
梅の花