天皇陛下のおことば
第189回国会開会式 平成27年1月26日(月)(国会議事堂)
 
本日,第189回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。
 国会が,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,永年にわたり,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。
 ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,その使命を十分に果たし,国民の信託に応えることを切に希望します。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h27e.html

第189通常国会が26日(月曜日)、召集された。会期は6月24日までの150日間。26日午後に参院本会議場で天皇陛下をお迎えして、開会式が開かれた。この日安倍内閣は、緊急経済対策を盛り込んだ総額3兆1,180億円の平成26年度補正予算案を国会に提出。これを受けて開会式後に、衆参両院本会議で麻生太郎財務大臣が財政演説を行った。安倍晋三首相の施政方針演説は、2月中旬の15年度予算案提出に合わせて行われるようだ。
日本国憲法第七十二条
内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。(原文:Article 72. The Prime Minister, representing the Cabinet, submits bills, reports on general national affairs and foreign relations to the Diet and exercises control and supervision over various administrative branches. )

大日本帝国憲法第五十五條
國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス

通常国会の冒頭で内閣総理大臣が本会議場で行う演説を施政方針演説という。日本の憲法や国会法に規定はないが、1890年の第1回帝国議会で山縣有朋首相が行って以降、慣習となってる。

本通常国会の冒頭では、今年の内閣全体の基本方針を示す施政方針演説は行われなかった。ならば、せめて首相の個人的な考え方を示す所信表明演説を行ってほしかった。10分もあれば、私たち日本の民衆に彼の個人的な考えは伝わるのだから。

アブドラ前国王の葬儀に各国首脳が参列、サウジアラビア
(AFP 2015年01月24日 09:07 発信地:リヤド/サウジアラビア)
アブドラ前国王
1月24日 AFP】サウジアラビアで23日、同日未明に死去した故アブドラ・ビン・アブドルアジズ(Abdullah bin Abdulaziz)前国王の葬儀が執り行われ、各国の首脳が参列した。
 同国首都リヤド(Riyadh)のイマーム・トルキー・ビン・アブドッラー・モスク(Imam Turki bin Abdullah Mosque)で営まれた葬儀には、トルコのレジェプ・タイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdogan)大統領や、パキスタンのナワズ・シャリフ(Nawaz Sharif)首相のほか、スーダン、エチオピア、湾岸諸国の首脳が参列。アブドラ国王の異母弟で、王位を継承したサルマン(Salman)新国王とともに祈りをささげた。
 テレビは、赤と白の伝統的なシュマグ(頭にかぶる装身具)を身に着けた王族が、布で覆われた前国王の遺体を乗せた簡素な担架を運ぶ場面を放送した。担架を担いだ王族の中には亡くなったアブドラ国王の子息であるムトイブ・ビン・アブドラ(Mutuib bin Abdullah)国家警備相もいた。
 アブドラ前国王の遺体は、葬儀の後すぐに近隣の公共墓地に運ばれ、2005年に死去したファハド(Fahd)国王と同様にサウジアラビアの厳格なイスラム教の伝統に従い墓標なしで埋葬された。
 アブドラ前国王の葬儀には、バーレーンのハマド・ビン・イサ・ハリファ(Hamad bin Issa al-Khalifa)国王や、カタールのタミム・ビン・ハマド・ビン・ハリファ・サーニ(Tamim bin Hamad bin Khalifa al-Thani)首長、アラブ首長国連邦(UAE)のハイレベルの代表団、クウェートのサバハ・アハマド・ジャビル・サバハ(Sabah al-Ahmad al-Jabir al-Sabah)首長も参列した。(c)AFP http://www.afpbb.com/articles/-/3037545より転載

サウジアラビアは現在、世界で唯一、女性の運転を禁じている国。人権保護活動家たちは長年にわたり、女性の運転を解禁するよう訴えている。90歳だったとされているアブドラ国王の逝去に伴い、88歳のエリザベス女王が世界最高齢の君主となった。イギリス王室は1月23日、チャールズ皇太子が女王の代理としてサウジアラビアを訪問する、とインデペンデント紙を通じて発表した。

1990年にイラクが隣国クウェートを侵略して湾岸危機が起こった。高齢のファハド国王は、合衆国のリクエストがったこととサウジアラビア国土防衛のために合衆国軍の駐留を許可。駐留規模が最大になったのは1991年で、約55万の多国籍軍の部隊がサウジの砂漠に展開した。聖地メッカのある当地に異教徒の軍隊が駐留することに敬虔なイスラム教徒たちは反発した。それが今日のスラム諸国混迷の深層となった。当時、皇太子であったアブドラ国王も反対したと言われる。2005年、第6代国王として即位した後は、アラブの団結を優先し、対合衆国及びヨーロッパ諸国との関係を留意しながら国家経営をしてきた。

サウジアラビアと合衆国の関係を知るとき、フト、思い浮かんでくるのは1853(嘉永6)年、代将(Commodore)マシュー・ペリーが率いる合衆国海軍東インド艦隊の蒸氣船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航した事件。当初久里浜に来航したが、そこは砂浜で黒船が接岸できなかったので幕府は江戸湾浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)に誘導。合衆国大統領国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約締結に至った。私たちは、この事件から明治維新までを幕末と呼んでひとくくりにする。しかし、1945年の敗戦までをひとつの時代としてくくってみてはどうだろうか。そして、1945年から2014年までを、もうひとつの時代に。さらに、2015年からはじまるこの時代を、過去の歴史を学び直した私たち民衆の新時代としてスタートさせたいものだ。


閑話休題(それはさておき)


日本国憲法前文
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution. Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded. We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith.
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world. We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth. We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want.
 われらは、いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.)
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.

日本国憲法 第一条
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。(Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the People, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power. )

私見によれば、この条文の根底に流れるものは「八紘為宇(はっこういちう):Universal brotherhood」。その大意は、世界同胞、道義的に天下を一つの家のようにする、ということ。「八紘一宇」の出典は、日本書紀巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」。
上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎
(上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さん事、亦可からずや)

先の大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下で神道指令により「八紘為宇」という言葉は国家神道・軍国主義・過激な国家主義を連想させるとして、公文書上での使用が禁止された。そして、先の大戦中の日本の海外侵略を正当化したスローガンとして、この言葉が私たち日本の民衆のマインドに刷り込まれてきた。

八紘為宇(アメガシタイエトナス)を、戦後70年の封印から解き放ちたい。
それは日本が再び世界の希望となる必要条件である。


静かに輝く太陽を見つめながら

大きな笑顔の佳き週末を  感謝