天皇皇后両陛下のパラオ国御訪問について
(平成27年1月23日 閣議決定)
 戦後70年に当たり,戦争によって亡くなられた人々を慰霊し,平和を祈念するため,また,我が国とパラオ国との友好親善関係に鑑み,天皇皇后両陛下に,同国を御訪問願うことといたしたい。
 なお,同国政府からは,両陛下に対し同国を御訪問願いたい旨の招請があった。
 御日程については,4月8日東京御出発,翌9日御帰国になる予定である。
御日程の概要
4月8日(水) 東京 御発
        バベルダオブ島 御着(パラオ国)
        コロール島 御着
4月9日(木) ペリリュー島 御着
        バベルダオブ島 御着
        同地 御発
        東京 御着
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gaikoku/h27palau/eev-h27-palau.html

両陛下パラオ訪問:日系の元大統領、「国をあげて」歓迎
(毎日新聞 2015年04月02日 07時30分)
 約1週間後に迫った天皇、皇后両陛下のパラオ共和国訪問について、日系人のクニオ・ナカムラ元大統領(71)が現地で毎日新聞のインタビューに応じ、「パラオは終戦までの約30年間、日本の統治下にあった。日本の教育を受けている人たちが多く、とても親日的だ。国をあげてお迎えしたい」と歓迎の意を示した。
 ナカムラ氏は三重県伊勢市出身の船大工の父とパラオ人の母との間に、8人きょうだいの7番目としてパラオで生まれた。戦後の一時期、一家は日本で生活したが困窮してパラオに戻った。ナカムラ氏は教師を経て政治活動を始め、1993年に大統領に就任し8年間務めた。大統領として計13回、退任後も計2回来日した。
 ナカムラ氏は、両陛下の訪問先に約1万人の日本人が戦死したペリリュー島が含まれたことについて、「白くて美しいビーチがかつて多くの日本人の血で赤く染まった。パラオ人はそのことに心を痛めてきた。戦死した兵士たちへの何よりの慰めだ」と述べた。
 また、戦後60年の2005年にもパラオ訪問の計画があったことにも言及。「サイパン、パラオ、ミクロネシア諸島を訪問される話が持ち上がったが実現しなかった。当時、トラック諸島の日系の大統領らが大変残念がっていたが、今回はそれらの島々の要人も来て両陛下を歓迎する」と語った。
 ナカムラ氏は大統領当時、天皇陛下と3回会っているといい、「英語と日本語で語り合い、非常に有意義だった。淡水魚の研究をされていると聞き、帰国後にパラオの河川の魚の本をお送りした。個人的にとても尊敬できる方」と話した。【真鍋光之】http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20150402k0000m040149000c.html

陛下が風邪で祭祀を欠席 パラオ訪問控え大事取り
(北海道新聞 04/03 12:37)
 宮内庁は3日、天皇陛下に風邪の症状があるため、この日午前に予定されていた宮中祭祀を欠席されたと発表した。陛下は8〜9日にパラオへの訪問を控えており、大事を取ったという。
 皇居内を清掃するボランティアとの面会など短時間で済む行事には臨むとしている。
 陛下は3月下旬ごろから風邪の症状が続いている。3月27日には、面会したポルトガルのコエリョ首相から「お元気になられましたか」と気遣われ、「もう大丈夫です」と答えていた。http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0119279.html


閑話休題(それはさておき)


1999年1月刊行の『白村江〜古代日本の政敵と薬師寺の謎』(鈴木治著)は、663年の白村江の敗戦のあと、唐から2千人もの人員を擁する使節が日本に上陸した史実を指摘し、そこにゆるやかな唐の日本支配があったことを教えてくれる。周知のように、日本は唐の律令制を整え、絢爛たる天平文化の花を咲かせた。唐の圧倒的な影響下にあって、敗戦国日本が建前としては独立国としての面子を保ちながらも、実質的には保護国化していたのではないか、というのが鈴木氏の仮説。

しかしながら、白村江の敗戦という危機の時代に、まず古事記が、次に日本書紀があらわれたことも忘れてはいけない。ある種の危機が到来し、自分たちのアイデンティティを確認しようとするときに、わが国では古いものを学ぼうとしてきた。だから古事記は大和読みで「フルコトフミ」と発音してみると、その意味がイメージしやすい。二書を「記紀」(危機)と総称しているのも興味深い。

白村江の敗戦に先の大戦の敗戦後にサンフランシスコ講和条約調印を経て形式的に独立国となった戦後日本の姿を重ねてみるなら、先の大戦後70年というのは西欧文明又はフリーメイソンリーに代表される合衆国文明という障害の受容期と見えてくる。その時代を終える今年、古事記に記された「シラス国」という言葉が示す祭政一体の神政民主体制が欧米にルーツを持つ民主主義というものの欠点を克服するものであることをシラスなら、日本へ来る海外の方々の質が変わるに違いない。観光という言葉は、「国の光を観る、もって王に賓たるに利し」(易経)に由来する。物見遊山(ものみゆさん)の日本訪問から、「シラス国・日本国を知る」遊学の旅へとシフトする日が近づいている。これは今後のわが国の観光政策のヒントとなるだろう。

間もなく、今上陛下はパラオ御訪問を実現なさる。これによって、公文書に記された大東亜戦争(支那事変含む)とは別の太平洋戦争という名の、アメリカ合衆国と日本の間の戦争は終わりを告げる。失効したとはいえ、敗戦後はGHQによって軍国主義と関連があるとされ「大東亜戦争」の使用が禁止され、代わりに「太平洋戦争」という戦争呼称を用いるよう規制された。GHQが創り出した戦後計画の全体像が徐々に明らかになり、多くの私たち日本の民衆がそれを意識し始める時機となる。このあとも、新たに明らかとなることが続きそうだ。


2015年春は、真心の日の本の日が新たに日本列島の上に昇ることになりそうです。
天皇陛下(稲刈り) 
皇居内の水田で稲刈りをなさる天皇陛下(写真:宮内庁)

大きな笑顔の佳き週末を

感謝

参考:流れのままに 「英華秀霊」(2015年01月24日)