北方領土は、遠くなりにけり。日本の外交力がもう少しばかりあるなら、日本が返還交渉を求めている北方領土でのこのようなイヴェントは中止させることが出来たに違いない。
<ロシア>北方領土で対日戦勝式典 9月に計画
(毎日新聞 5月14日(木)20時45分配信)
 モスクワ真野森作】戦後70年の今年9月、ロシアが北方領土を含む千島列島(ロシア名・クリル諸島)で大規模な対日戦勝記念式典を予定していることが分かった。露国防省・軍事大学の幹部研究者、ミハイル・ポリャンスキー氏が13日、モスクワでの戦史研究発表会で明らかにした。ロシア通信が伝えた。
 プーチン政権は「ロシアは第二次大戦の戦勝国」とのアピールを強めており、歴史認識に関して中国とも連携。日本をけん制する狙いがうかがえる。
 ロシアは戦後65年の2010年、日本が降伏文書に調印した1945年9月2日を「第二次大戦終結の日」として国の記念日に定め、サハリン州を中心に記念行事を実施した。プーチン露大統領は今年、中国の「抗日戦勝記念日」の9月3日に北京で行われる記念式典に招待されている。北方領土でも同時期に式典が実施されるとみられる。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150514-00000093-mai-int

参考:返還交渉の経緯


閑話休題(それはさておき)


明治憲法と呼ばれる大日本帝國憲法は、1889(明治22)年2月11日に公布、1890(明治2年)年11月29日に施行。私見によれば、この憲法制定後の日本の歴史は、戦争ありきの国になり、その結果、1945年の敗戦を導いてしまった。なぜ、そうなってしまったのかを明治建国の時まで遡って学ぶ必要がありそうだ。さもなければ、過去に起こったことが、同じようにして、今の時代にも繰り返し起こる、ことになる。

日本政府は14日に閣議決定した外国軍隊への後方支援のための新たな恒久法である「国際平和支援法案」と、自衛隊法など10の法律の改正を一本化した「平和安全法制整備法案」の2本を15日午前、国会に提出した。安倍総理大臣は今の国会での成立を期す考えを示したという。

「国際平和支援法案」は「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案」(内閣官房・外務・財務・防衛省)で、「平和安全法制整備法案」は「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」(内閣官房・内閣府本府・外務・財務・防衛省)の略称。「平和安全法制整備法案」は一括法案であり、次の10本の改正法案を一本化している。

・武力攻撃事態法改正案
・重要影響事態法案(周辺事態法を改正)
・PKO協力法改正案
・自衛隊法改正案
・船舶検査法改正案
・米軍等行動円滑化法案(米軍行動円滑化法を改正)
・海上輸送規制法改正案
・捕虜取り扱い法改正案
・特定公共施設利用法改正案
・国家安全保障会議(NSC)設置法改正案

憲法9条の精神を蔑(ないがし)ろにし、合衆国との同盟を通じて、自衛隊を軍隊として戦争に参加可能にするインフラ作りなのだから、戦争の足音が現実化し、日本の平和は70年で終わりを告げるというるというシナリオを描くことは容易だ。しかし、大切なことはわが日本が自発的に合衆国の洗脳から解放される、覚醒のシナリオを描き切ることではないだろうか。

たぶん、このままでは法案はまとめて審議され、問題点が見えづらいまま、最後は数の論理で強行突破となるだろう。

今日の世界秩序をわきまえるなら、私たち日本の民衆は無知ではいられない。無知によりメリットを得る者は皆無だろう。先の大戦の総括をそろそろし始めてもいいのではないか。今こそ、日本国の軌道が滅びの道となることに、こぞって氣づくべきとき。

明治建国以降の日本の歴史には、多くの誤(あやま)ちがあることを社会科学的に認識し、何が原因だったのかを自ら解明する知力を育てることが必要。さもなければ、再び、わが国は「空氣」に打ち勝つことが出来ずに、頭では負けると分かっている戦(いくさ)に民衆を強制的に引っ張り出すことになりかねない。

2012年12月26日に2度目の首相となった安倍晋三氏は、2013年4月14日に小笠原諸島の硫黄島へ行った。そして、自衛隊が使用している滑走路にひざまづいた。その滑走路の下には、約1万2000人の戦没者のご遺骨があり、それは放置されたままとなっていた。
安倍首相@硫黄島平成25年4月14日
硫黄島のご遺骨収容は約1万柱にとどまっている。陸上総戦力兵士2万933名に対して戦死者1万9900名、生存者は5%に満たない1033名。戦死率95%の戦績。このように多くの兵士を死なせてしまったのはどのような経緯があったのか。一人ひとりが戦死に巻き込まれていった空氣とはどのようなものであったのか。

1945年2月19日〜1945年3月26日の硫黄島の戦いの時点で、2万余名の兵士の中には、銃の持ち方を知らない人々を含めた急遽召集の30〜40代の年配者や16〜17歳の少年兵等の姿があった。それほどまでに、戦闘能力を喪失していた。加えて、当時の日本は制空権・制海権共に失い、合衆国の艦載機の思いのままの飛行を可能にする状況であった。負けると分かっていた戦闘の目的は、負けるまでの時間を引き延ばすことであり、戦闘というよりは抵抗に近かった。1945年2月6日、大本営は「陸海軍中央協定研究・案」を策定し、「硫黄島を敵手に委ねるの止むなき」と決定。兵士の命を過小評価し、見捨てる政策に他ならなかった。合衆国軍が硫黄島上陸前の爆撃開始したのは10日後の2月19日であった。グアム・テニアン・サイパンを基地として日本本土攻撃に出撃する長距離航続可能なB29爆撃機の護衛戦闘機の基地としての価値を硫黄島に認めていた。

ご遺骨の発見・収集と共に、なぜ「硫黄島を敵手に委ねるの止むなき」と決定し兵士の命を犠牲にすることが出来たのかの検証、なぜ硫黄島の基地としての戦略的価値を過小評価してしまったのかの検証、そしてシラス国建国に向けて歩み始めることが命を捧げた(または、見捨てられた)英霊たちの何よりの供養となるだろう。


天地の中間に位置する葦原中国(なかつくに)のあり方が治国=知国=しらす国。神ながらの国の真意(まごころ:エッセンス)は、誰もが知ることをシェアするシラス国(知国)であり続けるということ。情報と富を一極集中させ、民衆を私物化する宇志(ウシ)たちから邪氣妖氣を払ってやり、世界を戦争に向かわせるエネルギーを軽減・解消させたい。現在の資本主義社会の次のステージには、情報と富の配分の均衡(equality of distribution)を人類普遍の原理(principle)とした社会システム「しらす国」が登場するに違いない。


大きな笑顔の佳き日々を

感謝