コストやデザインに目を奪われがちだが、陸上世界選手権400メートル障害銅メダルの為末大氏は以下のようにツイートした。
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新国立競技場はサブトラックがないために、五輪後には陸上の国際大会は開けないので、陸上競技場というよりも、ラグビー場やサッカー場またはイベント会場として捉えた方がいいと思う。
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 陸上の主要国際大会を開く必要条件に、ウォーミングアップ用サブトラックがある。2020年の東京五輪・パラリンピックは、明治神宮外苑の軟式野球場に仮設でサブトラックを作る計画。しかし、五輪後には撤去される。常設サブトラックなしでは、第3種公認競技場ということになる。世界陸上や日本選手権は第1種公認が必要条件なのだから、第3種公認のままではその開催は望めない。


閑話休題(それはさておき)


 敗戦から数年後、日本は、「平和な日本の姿をオリンピックで世界へ示したい」として、オリンピック招致の声明を出した。そのための国際的なアピールとして、昭和33(1958)年、「第3回アジア競技大会」を東京で開催した。そのメイン会場として生まれ変わったのが国立競技場。
 国際大会の舞台となる競技場の建設は、神宮競技場の取り壊しから始まった。建設計画のリーダーは、建設省関東地方建設局(当時)の角田栄氏と設計・デザインの片山光生氏。着工は昭和32(1957)年1月で、大会を2ケ月後に控えた昭和33(1958)年3月、ついに完成した。
 そのアジア大会が成功裡に終了し、東京オリンピックの招致も実現すると、国立競技場は日本を代表する国際的競技施設という存在を国内外にアピールしていった。
国立競技場

大きな笑顔の佳き祝日を