天皇陛下は今日、全国戦没者追悼式に出席なさり「お言葉」をお伝えになる。惨禍が再び繰り返されないことを願い、戦渦に倒れた人を追悼し、世界平和を祈る内容は、この20年は文面もほぼ決まっていた。しかしながら、今年は、陛下が独自の「戦後70年のお言葉」をお伝えになるのではないかと言われている。

陛下の平和主義の原点は、その戦争体験にある。1999年の「天皇陛下ご即位十年に際し」の記者会見で、こうおっしゃった。

「私の幼い日の記憶は、3歳の時、昭和12年に始まります。この年に盧溝橋事件が起こり、戦争は昭和20年の8月まで続きました。したがって私は戦争の無い時を知らないで育ちました」

70年前の終戦の日直後、当時皇太子だった今上天皇の疎開先であった日光に陸軍東部宇都宮連隊の少佐参謀と中佐が現れ、皇太子の引き渡しを要求。彼らは先帝(昭和天皇)の降伏宣言を認めず、明仁皇太子を天皇として徹底抗戦を続けると主張した。「皇軍(天皇の軍隊)」であったはずのものが、一夜にして「軍隊のための天皇」へと一変する刹那を、陛下は少年として身をもって体感なさった。まさに、彼が軍部クーデターの当事者にされそうになった刹那でもあった。

今年1月1日の「天皇陛下のご感想(新年に当たり)」で、「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」とお伝えになった。満州事変は1931年9月18日に関東軍が中国の奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破し、これを中国軍の仕業として軍事行動を開始した武力紛争。これを境に関東軍と中国の抗日運動との衝突が激化した。陛下がこの事件に触れたことの意味は、日本の加害責任(「侵略」)に言及なさったということ。

本日は、戦没者を追悼し平和を祈念する日。
日本武道館で、政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われる。
先の大戦の全戦没者に対し、半旗を掲げ、正午から1分間の黙とうを行いたい。

佳き8月15日を  感謝

富士に白鳥