幼稚園はカトリック湯の川幼稚園であった。園長先生のシスター伊藤は、よく私を招いてくれた。それは必ず、園の前を通りかかった時で、「あら、さいとう君、ご機嫌いかがですか。美味しいクッキーがありますよ。ご一緒にいかがですか。」と声を掛けてくれた。中学生になった以降はお会いすることもなくなり、想い出のみが往来している。
ある日、私はシスターに『イエスさまは、どこにいらっしゃいますか?』と尋ねた。
『イエスさまは、あなたのなかにいらっしゃいます。そして、私のなかにもいらっしゃいます。」と彼女は応えた。
私は『教会の十字架にいらっしゃる方は・・・』と再度尋ねた。
『二度と、イエスさまのように、父の子を十字架にかけることのないようにという意味ですよ』と彼女は知らせてくれた。
彼女との対話は、私の理解力を大いに高めた。
彼女の口から放たれる言葉のすべてが、私の覚りを促してくれた。
シスターと一緒にいて伝わってきたことは、
人と神とは一体にして不可分であるということ。
神は天にましますと同時に、わが内にもましますということ。
そして、天(宇宙)とわが内は同じといういう真理であった。
シスター伊藤は愛の深い、大愛の方でいらした。
大きな笑顔の佳き水曜日を 感謝
ある日、私はシスターに『イエスさまは、どこにいらっしゃいますか?』と尋ねた。
『イエスさまは、あなたのなかにいらっしゃいます。そして、私のなかにもいらっしゃいます。」と彼女は応えた。
私は『教会の十字架にいらっしゃる方は・・・』と再度尋ねた。
『二度と、イエスさまのように、父の子を十字架にかけることのないようにという意味ですよ』と彼女は知らせてくれた。
彼女との対話は、私の理解力を大いに高めた。
彼女の口から放たれる言葉のすべてが、私の覚りを促してくれた。
シスターと一緒にいて伝わってきたことは、
人と神とは一体にして不可分であるということ。
神は天にましますと同時に、わが内にもましますということ。
そして、天(宇宙)とわが内は同じといういう真理であった。
シスター伊藤は愛の深い、大愛の方でいらした。
大きな笑顔の佳き水曜日を 感謝
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