三笠宮さまは、戦前・戦中を陸軍軍人として生き、戦後71年を歴史学者として生きて、100歳で昇天なさいました。宮さまの死は、祝福されています。世の人々に元氣や勇氣や希望を与える祝福の人生を、歩まれたのですから。

崇仁親王殿下薨去について(平成28年10月27日)
崇仁親王殿下には,本日午前8時34分,聖路加国際病院において,薨去(こうきょ)されました。
謹んで哀悼の意を表する次第であります。

三笠宮邸(赤坂御用地内)における一般記帳者の弔問記帳(平成28年10月28日から当分の間)
一般記帳者の弔問記帳
(1)日時:平成28年10月28日(金)以降,当分の間,午前9時から午後7時まで
(2)記帳所:三笠宮邸内仮設テント
(3)入退出門:徒歩にて南門から入門し,南門から退門する
※駐車場の用意はありません
赤坂御用地
崇仁親王殿下
お名前: 崇仁(たかひと)
宮号: 三笠宮(みかさのみや)
お続柄: 大正天皇第4皇男子
お誕生日: 大正4年12月2日
ご称号: 澄宮(すみのみや)
お印: 若杉(わかすぎ)
成年式: 昭和10年12月2日 (ご年齢20歳)
総裁職など: (公財)中近東文化センター 名誉総裁
日本・トルコ協会 名誉総裁
日本赤十字社 名誉副総裁
ご学歴など: 学習院中等科を経て陸軍士官学校ご卒業
騎兵連隊でご勤務
昭和16年 陸軍大学校ご卒業,後参謀としてご勤務

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三笠宮さまご逝去に際してのケネディ大使の声明
*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。
(米国大使館・東京・日本 2016年10月27日)
 三笠宮崇仁親王ご逝去の報に接し、米国民を代表して、皇室の方々ならびに日本国民の皆さまに心よりお悔やみ申し上げます。学者であり教師でもあった三笠宮さまは、確固たる信念を持って、人々の人生の向上と人文科学の前進に取り組まれました。私の思いは、三笠宮さまを悼む日本国民の皆さまとともにあります。
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三笠宮 兄昭和天皇を語る
(インタビュー 牛島秀彦(評論家) サンデー毎日/昭和52年5月15日号より)
司会: 戦前は天皇は大元帥陛下、殿下は陸軍将校、やはりいくら実兄といっても天皇にはうかつに近寄り難いといったことがあったのですか。
三笠宮: それはもちろんあるわけですね。でも戦前だってインフォーマルな場合はあったわけだから。結局二重人格ですよね、われわれは。一少尉という場合と皇族という・・・だから戦前は全くの二重人格の使い分けをしたわけですよ。軍隊の中じゃ、士官学校生徒の時は生徒なみだし、それから上等兵の階級に始まってずっと来たわけでしょう。
司会: 上等兵からですか?
三笠宮: まず士官学校予科を卒業すると、上等兵になるわけですよね。それで軍隊に行って馬の手入れから何から一応全部修行をしてそれから伍長、軍曹になって士官学校本科に入るわけですよ。で二年、そうしたら曹長になって隊に帰って見習士官になってそれから任官ですから。
司会: 天皇は11歳のとき、いきなり少尉でしょう。
三笠宮: ええ、だから全然違うわけです。学校だって初等科だけいらしたけれども、中等科からは御学問所でしょう、陛下の場合は。
司会: 2.26事件のとき、殿下はどこにおられましたか?
三笠宮: 士官学校におりました。
司会: あの時、殿下はまわりの青年将校に対してどういうふうにお思いになりましたか。天皇親政を叫んで反逆罪になったわけですが・・・。
三笠宮: 士官学校の生徒でしたからねえ。それに対して毎日訓話を受けた。生徒の中にもそれぞれの信奉者もいたわけですからね。ずいぶん精神訓話は受けた。
司会: 陸士などでは御真影に対して最敬礼なんかあったわけでしょう。
三笠宮: 御真影に最敬礼ということは、軍隊とか士官学校にはなかったと思いますね。
(中略)
軍隊とか将校なんていうのは、天皇のことをあまり神様って言わなかったんじゃないかと思うんですよ。本当に神様だったら、2.26なんか起こりっこない。
司会: 天皇ご自身はどういうお考えだったでしょうか。
三笠宮: もちろん、神様とも何とも思っていらっしゃらなかったと思いますがね。
司会: 御真影の取り扱いなどはどうでしたか。
三笠宮: それは、私だって学習院にいたころは御真影を拝みましたけどね。
司会: 天皇ご自身は、神格化されているということは知っておられたわけですか。
三笠宮: それはもちろんそうだろうけども。私自体だって、別に御真影を拝んでもそう不思議にも思わなかったしね。
司会: 実際は、兄上の写真を拝んでいるんだけども、兄上と思ってなさったわけじゃないと。
三笠宮: ええ。
司会: 戦前、自由に羽を伸ばしたいという気持ち、庶民の味を味わいたいという気持ちは強かったですか?
三笠宮: そりゃもちろんありましたね。戦前は全くそういう気持ちだったからね。「格子なき牢獄」と思ってたからね。それが非常におかしなことで、例えば軍隊の中で行動している時は、一般と全く同じなわけですよね。すべて階級どおりですよ。ところが一歩軍隊を離れちゃうと、全然自由のきかない身分になっちゃうわけですからね。だから、かえって軍隊のほうが自由があってよかった。週番士官なんか楽しくてしようがなかった。兵営の中に泊って一週間勤務するでしょう。将校たちが帰ってから、火災予防から衛生の問題から全部責任持つわけですよ。軍にいる間は一般と同じわけです。同じ待遇だし、同じ仕事をするわけだし、自由に。
司会: ですけど、天皇の弟宮として、やっぱり特別扱いだったんじゃございませんか。
三笠宮: だから、部隊を出ると特別扱いになるから余計感じるわけですよ。軍隊を離れた時の孤立感を…。
司会: 軍隊は特別扱いしませんでしたか?殴られましたか?
三笠宮: まあ、殴るだけは、それだけはみんな遠慮したけどね(笑)。
司会: 逆に殴ったこともないですか?
三笠宮: ええ、やっぱり殴られないと殴るわけにはいかない(笑)。
司会: ところで(昭和)天皇は、自由についてどうお感じでしょうか。
三笠宮: それは5、60年ぐらい前の天皇に聞かないとね。
司会: (昭和)天皇は、殿下のことを何と呼ばれますか?
三笠宮: 「三笠さん」という。(私が)手紙なんか書く場合には「兄宮様」と私は書きます。「天皇陛下」とは書かないからやっぱり「お兄様」でいいんですけれど、つい「陛下」と云っちゃうんですけど。
司会: お手紙なんか、(昭和)天皇に直接お書きになることもあるんですか?
三笠宮: ええ、そういうときは「御兄宮様」と書きますから。
逆に(昭和)天皇が、殿下にお手紙をお出しになることは?
三笠宮: ありますよ。例えば旅行の時や外国に行かれるときとか。
司会: 宛名は「三笠宮崇仁様」って書いてありますか?
三笠宮: (しばらく考えて)「弟宮」と書いてありましたかな・・・ 「三笠宮へ」というのがあったかも知れないけど。
司会: 皇后陛下(香淳皇后)は、インフォーマルな時も「陛下」とお呼びでしょうか。
三笠宮: 「お上」ですね。陛下は「良宮」とおっしゃるわね。おふたりきりのときは知りませんよ。
司会: 普通の夫婦だと、時々夫婦げんかをしたりしますが?
三笠宮: それはわからない。おふたりきりのところは。
司会: 殿下はどうですか。夫婦げんかなさいますか?
三笠宮: さあ(笑)。
司会: 殿下は、皇太子(今上天皇)をどういうふうにお呼びかけになりますか?
三笠宮: 「東宮さま」とか何とか・・・「皇太子さん」とか。
司会: やはり皇太子(今上天皇)は、目上ということになりますか?
三笠宮: それはもちろん、クラスが違うわけだから。
司会: 世間一般の考え方からすれば叔父さんに当られる殿下の方が、(当時の)皇太子より目上というのが普通なんですが。
三笠宮: ええ、でもちゃんと皇族の順位がついているから。それは動かし得ないわけよ。皇位継承の順位だから。向こうは「叔父さま」っておっしゃるけどね。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/jinjiotu/jinji13.html より転載
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