昔、合衆国企業は多くの既得権益をキューバに持っていた。例えば、フィデル・カストロ(1926〜2006)が共産主義の影響を受けた学生らとともにゲリラ活動を行い親米政権を倒して勝利した1959年1月8日時点で、ユナイテッド・フルーツとその関連会社がキューバの農地の7割以上を所有していた。カストロは、同年4月にワシントンD.C.を訪問し合衆国政府に対して友好的な態度で彼の革命政権の承認を求めるも、実質的な合衆国政府の支配者である大企業やマフィアからの覇権によりアイゼンハワー大統領(1890〜1969)は公式会談を欠席し、その会談に代理出席したリチャード・ニクソン副大統領(1913〜1994)は短時間の面会に終わらせた。あからさまな冷遇を受けたのであった。まもなくキューバ国内のアメリカ 資本企業は国有化され、1962年には外交関係が途絶。昨年2015年7月、合衆国との外交関係が再開されるまで53年の時間を要した。
(参考:「キューバにおける日本式医療技術・サビス普及促進の ため医療・教育拠点の設立に向けた調査」平成28年3月)

1964年7月26日、サンチャゴ・デ・クーバでの革命記念日の式典には海外からの代表が300名程参加。そのキューバ新政府による革命の宣伝のために招待された一人に、文学者・堀田善衛がいた。彼の著『キューバ紀行』(集英社文庫・1995年)は今、紐解くに値する一冊だ。30万人の大観衆と共にフィデル・カストロ首相(38歳)の演説をチェ・ゲヴァラもいる中で聴いた彼は、カストロの演説の魅力はその論理性にあるという。
(前略)そうして、そのこと、論理性ということ、これは私自身にとっても、まことに意外なことであったのだ。それは、私自身が、主としてアメリカ系の通信等を通してそれまでに持っていた、というより持たされていたイメージというものと全く違うし、大方の人々の持っていた、あるいは持たされているイメージとも、まるで違うものであろうと思う。それは、私自身にとっても実は非常なおどろきであったということを、ここで白状しておきたいと思う。つまり、フィデル・カストロの論理性とは、その実質実体は、小なりといえども誇り高い独立国としてラテンアメリカの現実のなかに実在したいという熱望に支えられた、キューバのその内側から見ての論理性なのである。しかもキューバがその論理常識を通そうとすると、米国の政府や巨大会社が怒り出すという論理であり、この論理がラテンアメリカの全体に通じるようになると、アメリカによる植民地的支配が全体的に崩れるかもしれぬという、そういう論理性である。たとえば、米、ラード、綿花、電話、土地、石油、鉱業、商船隊、電気、自動車、バス、薬その他から、生命である砂糖とタバコまで、とにかく国民生活に必須なほとんど一切が、軍隊までが、外国の政府と独占資本によって規制されていた国の、つまりはラテンアメリカの植民地半植民地だった国が、その独立を論理としても実質としても完遂しようとしたとき、その国家的自由、国家的行動の自由を他人、他国に縛られることなく快復しようとしたとき、独立国としては当たり前のこと、従って論理常識にかなったものにしようとするとき、言い替えて植民地の宿命から脱出しようとするとき、かつはこの論理の当前事を完遂しようとすると、生命であった砂糖の割り当て廃止を食らい、従ってその砂糖を買ってくれるという国へ自由に売ろうとすると、今度は軍需品の輸入を止められ、内外からの破壊工作に耐えるために軍需品をベルギーから買おうとすると、その輸送船が爆破され、ついに社会主義国からそれを買おうということになる。かくてとうとう国交断絶を食い、あまつさえ軍艦による封鎖を食い、直接侵略を食い、ナパーム爆弾で収穫を焼かれ、ハバナ爆撃を食い、たったメキシコ一国だけを除いて、アメリカの圧力によって仲間のラテンアメリカ諸国もがキューバとは国交を断ち切らされるという、独立国としての論理常識の当然がおそろしい圧迫、非論理、暴力を呼ぶという現実がある」(70〜72頁)

かって日本に対して1935年頃からなされた「ABCD包囲網」にも似た経済封鎖を受け、軍事的圧力をかけられた国家の経営者としてのフィデル・アレハンドロ・カストロ・ルス(Fidel Alejandro Castro Ruz)氏の国士としてのあり方は称賛に値する。統制経済を導入して自由を制限したかもしれないが、理想の社会建設に向かって進んでおり、医療分野では最先進国となっている。

2003年に来日した彼は、原爆ドームを視察、慰霊碑に献花・黙祷し、
「人類の一人としてこの場所を訪れて慰霊する責務がある」と残した。