先の大戦後、他県同様に宮城県内にも大東亜戦争で戦死したり仙台空襲等で被災したりして親や保護者を失った戦災孤児が多数いた。そこで宮城県庁は、1947(昭和22)年の児童福祉法に基づきラ・サール会(キリスト教学校修士会)に要請し、翌年に養護施設(旧・孤児院、現・児童養護施設)を東仙台駅近くの七北田丘陵の一部に設置。これが現在のラ・サール・ホームの前身である。ここの出身者として作家の井上ひさし氏はよく知られていて、函館ラ・サール時代には彼の名前をよく耳にした。

彼の戯曲に『天保十二年のシェイクスピア』というシェイクスピア全37作品全ての台詞とシチュエーションをパロディ化し、エロ・暴力・任侠でデフォルメした大作がある。この劇中歌のひとつに「もしもシェイクスピアがいなかったなら」という歌があり、「もしもシェイクスピアがいなかったら、バーンスタインはウェストサイドを作曲できなかったろう」「もしもシェイクスピアがいなかったら、文学博士になりそこなった英文学者がずいぶん出ただろう」「もしもシェイクスピアがいなかったなら、女は弱いなんていう、あんな誤解は生まれなかったろう」などと合唱する。

この流れで『もし、日本という国がなかったら』(集英社インターナショナル 2011・坂野由紀子訳)と題して、「もしも日本がなくなったなら、世界はうんとつまらなくなっているだろう」と語るのは、合衆国出身の作家・翻訳家・劇作家・演出家ロジャー・パルバース氏(1944年生)。彼は井上ひさしの作品に惚れ込んで、彼をオーストラリア国立大学の客員教授として招致するよう運動。 井上作品の英訳も行っている。私たち日本人以上に日本に精通した彼が記した『もし、日本という国がなかったら』がもっと読まれるなら、日本の社会はさらに楽しいものとなるに違いない。
もし、日本という国がなかったら
パルバース氏は、UCLAを政治学専攻で卒業後、ハーバード大学大学院をロシア地域研究専攻で修了。この後、CIAが後ろ盾になっている国際的学生派遣組織・NSA(米国学生協会)の奨学金でワルシャワに留学した。ある日、彼はNSA会長から「いますぐロンドンに行ってほしい」という電話をもらい、ロンドンへ。訳が分からない話なのだが、いつのまにか彼は冷戦下でロシア語とポーランド語を流暢に操るCIAのスパイとしてでっちあげられていた。紆余曲折を経て、彼は1967(昭和42)年秋に初来日し、知人から若泉敬氏(1930〜1996)を紹介される。若泉氏は彼が勤務する京都産業大学の学長・荒木俊馬氏を紹介し、幸運にも(必然的に)、パルバース氏は23歳にしてロシア語とポーランド語の専任講師として迎え入れられるのであった。

若泉敬氏は国際政治学者で、佐藤栄作首相がニクソン大統領と「沖縄核(持込)密約」を締結した時の同行特使。彼は東京大学法学部政治学科在学中の1952(昭和27)年に国連アジア学生会議の日本代表としてインドとビルマを訪問した。1954(昭和29)の大学卒業後に保安庁保安研修所教官となり、1957(昭和32)年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院修了。1960(昭和35)年、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所(SAIS)に留学し、客員研究員として滞在。マイク・マンスフィールド、ディーン・アチソン、ウォルター・リップマン、ウォルト・ロストウらの日米安保派の人々と交流を持った。1961(昭和36)年より防衛庁防衛研究所所員。1966(昭和41)年、創立に貢献した京都産業大学より法学部教授として招聘された。トインビー博士やハーマン・カーン教授の来日に貢献したコミュニケーターとしても活躍。1994(平成6)年、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の上梓後、沖縄県知事・大田昌秀氏宛に「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自殺)します」(6月23日付)とする遺書を送るも、果たさず。1996(平成8)年7月27日、自著の英語版の完成稿を翻訳協力者に渡し、福井県鯖江市の自宅にて青酸カリで服毒自殺。Speech is silver, silence is gold. (雄弁は銀、沈黙は金。)と言うが、 銀の人生を選択した彼の最期は金であった。

若泉氏は、ともに学びフロンティア精神で立派な大学にしましょうと京都産業大学(京産大)の進運に貢献した。その京産大は、今話題の加計学園とともに、国家戦略特区を活用した獣医学部新設を要望していた。しかしながら、切符を手にしたのは加計学園。「もし、日本という国がなかったら」、湯水の如く税金が使われている事実が知らされることはなかったのではありませんか。田中龍作氏の秀逸なリポートを転載させていただきます。
【加計疑獄】建設費は文科省基準の6倍 アベ友が今治市からボッタクリ 
(田中龍作ジャーナル 2017年7月22日 11:56)
 今治市が上物(校舎建設など)費用の半分を負担する加計学園獣医学部。文科省が定める大学設置基準の6倍もの建設費を計上していたことがわかった。
 「今治加計獣医学部問題を考える会」の黒川敦彦さんが、野党議員を通じて文科省に問い合わせ、判明した。
 加計学園は上物(校舎、設備)費用に192億円を要するとしている。ところが、文科省の認可基準によると、定員160名の場合、最低基準価格は34億1000万円(校舎16億6500万円、設備17億4500万円)。
 つまり加計学園は最低基準価格の5・6倍もの費用を計上しているのだ。
 文科省高等教育局・専門教育課の松永賢誕課長によると最低価格は定められているが、上限はない。
 公金であるため出す方も痛みを感じない。要求する方はナンボでもふっかける。「上限なし」は不正の温床となる。
 今治市は加計学園に求められるままに192億円の半分にあたる96億円を交付する。3月、加計学園から申請があると、今治市は即日決定し即日加計学園に通知した。

 民間企業同士のお金のやりとりであれば、これほど拙速でズサンなことはしないはずだ。
 坪あたりの建築単価は約150万円。これを見ても加計学園獣医学部はべらぼうに高いことがわかる。
 同じ医学系で特区事業の国際医療福祉大学(成田市)の坪単価は88万円だ。
 今治市民が情報公開請求しても、市役所は獣医学部の設計図と見積もりを出さない。理由はこの辺にありそうだ。
 ぼったくる方も悪党だが、いわれるままに出す方も間抜けである。原資は市民の血税なのだから。
    〜終わり〜

参考:愛媛県今治市における大学獣医学部構想


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