平成天皇@高麗神社
埼玉県日高市の高麗神社を訪問された天皇、皇后両陛下=20日午前@共同通信

千万の軍なりとも言挙げせず取りて来ぬべき男とぞ思ふ (万葉集6-972)
秋津島 大和の国は 神からと 言挙げせぬ国 然れども 我は言挙げす (万葉集13-3250)
葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙げぞ我がする (万葉集13-3253)

 古代日本では、言挙げしその内容が間違いであった時、効力を失い自分の力をも失うとされ、禁句とされていた。
 言挙げは、個人が個人の意志を明白にする日常生活のあり方。これを慎むことが、鑑みることであり、敬神の態度となる。言挙げは、神のみの専権事項。神のご意志を受けて、活動をするのが大和の国の日本の民衆の態度であり、天皇の態度である。「言挙げせず」とは、神のご意志を越えたり、背くことはしませんということ。

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 倭建命(やまとたけるのみこと)は、尾張国(愛知県)の美夜受比売(みやずひめ)と結婚された後、伊吹山(いぶきやま:滋賀県&岐阜県)の神を討ちに出かけるが、御刀である草薙剣(くさなぎのつるぎ)を、美夜受比売の元に置き、「この山の神は、素手で倒してやる」と言い、持たずに出発。そして、その山に登った時、山の麓(ふもと)で白い猪に遭遇した。その大きさは牛ほどある。そこで、倭建命は、言挙げして「この白い猪に化けているのは、その神の使者だな。今殺さずとも帰る時に殺してやろう」と言い、そのまま山を登って行った。
 すると突然、激しい雹(ひょう)や雨が降って来て、倭建命はその雹と雨に打たれ意識を失ってしまう。実は、その白い猪は神の使者ではなく、伊吹山の神のご出現であった。倭建命は「山の神の使者」と見誤り素手でやっつけてやろうと言挙げしたことで、怒りを買い、氣(命)を失う結果となった。(古事記より)
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 本件は、北朝との外交を以て平和を導き給へ、という天皇皇后両陛下からのメッセージと受け取りたい。戦争へと民衆を扇動してはいけません。北朝と対話してください。これを日本の民衆と日本政府に伝えるために、言葉ではなく、高麗神社をご訪問なさることで示された。それをマスコミは忠実に報道した。北朝問題を憂慮した天皇皇后両陛下の決意と実践(the great resolution and implementation)と受け賜わった。
両陛下、渡来人ゆかり「高麗神社」ご参拝へ
(週刊新潮 2017年9月14日号掲載)
 行先は、埼玉――。
 今回で8度目となる天皇皇后両陛下の“私的旅行”である。9月20日から1泊2日で、日高市、熊谷市、深谷市を巡られる。
 宮内庁担当記者の話。
 「私的旅行といえば今年5月、陛下たってのご希望で、戦時中に疎開していた奥日光へ2泊3日で行かれる予定でした。が、直前に天皇陛下が風邪を引かれ、中止になってしまった。なので今回は、奥日光が行先かなと思っていたのですが……」
 埼玉がご訪問先として選ばれた理由について、宮内庁は“独自の文化がある地域を訪ねたいという陛下のご意向”としている。
 「独自の文化というのは、最初のご訪問先、高麗(こま)神社のある地域のことを指しているのでしょう」
 とは、地元紙記者。
 「この地域は、8世紀に、高句麗からやってきた1799人の渡来人が移り住み、その際、高麗神社を建立したのです。今も高麗駅前には半島由来の魔よけの柱が建っていますし、朝鮮風の郷土料理もあります」
 さらに、
 「昨年は、移住から1300年ということで記念式典が開かれ、馳浩さん(元文科相)や高円宮妃久子さまも出席され、注目が集まっていました。陛下もご興味を持たれたものの、その年のご訪問となるとさすがに話が大きくなると考え、翌年にされたのでは」
 高麗神社の広報担当者は、ご訪問に喜びを隠せない。
 「2〜3カ月前に宮内庁から打診があり、準備を進めてきました。天皇陛下のご参拝は実は、神社創建以来、初めてのことです」
 今上天皇といえば、これまで、“桓武天皇の生母が、渡来人の子孫”という旨のご発言で、物議を醸したこともあるが、
 「今回のご訪問と直接関係はないでしょうが、渡来文化への理解を深めたいという思いは根底にあるのでしょう」(先の宮内庁担当記者)
 両陛下はその晩、熊谷のホテルに宿泊され、翌日は渋沢栄一記念館などを訪問されるご予定だ。

天皇と皇后、高麗神社に初参拝
(朝鮮日報 2017/09/20 09:48)
平成天皇2017092000921_0 明仁天皇=写真=と美智子皇后が20日、埼玉県日高市にある高麗(こま)神社を参拝することが分かった。高麗神社は高句麗滅亡後、日本に定着した流民(日本では渡来人)たちが高句麗最後の王「宝蔵王」の息子「高若光」(日本名:高麗若光〈こまのじゃっこう〉)を迎えるため建てた。天皇と皇后が高麗神社を参拝するのは初めてだ。
 読売新聞などによると、天皇と皇后は20日から1泊2日で埼玉県を旅行し、日高市の高麗神社を訪れる予定だという。宮内庁は「私的旅行」と言っているだけで、訪問の背景などは明らかにしていない。
 天皇と皇后が来年の退位を前に、日本国内にある韓半島(朝鮮半島)を象徴する高麗神社を訪問することは、反省と和解のメッセージを送るためではないかという解釈もある。
 高句麗滅亡後、日本に亡命した高若光は716年に流民たちを集めて高麗郡を設置した。日高市一帯は19世紀末まで高麗郷、いわゆる「高句麗村」と呼ばれていた。近くには「高麗」という言葉が地名・姓・地元企業名などで残っている。
 日本最古の神社の1つである高麗神社は、1300年間にわたり高句麗の流民たちが「韓民族の末裔(まつえい)」として中心的な役割をしてきた。昨年、在日韓国人らが800万円を集めて神社の入り口に高句麗の象徴「三足烏」が刻まれた「高麗郡創設1300周年記念碑」を建てた。
チェ・ウンギョン記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

韓経:【コラム】日本の高句麗村=韓国
(2017年09月21日09時51分[ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版])
 東京から70キロほど離れた埼玉県日高市は「高句麗村」と呼ばれる。駅名からして「高麗(こま)駅」と「高麗川(こまがわ)駅」だ。高麗は日本で高句麗を意味する言葉で、「こま」または「こうくり」と発音する。高麗王朝は「こうらい」と区別して呼ぶ。
 この一帯の地名と姓・学校・企業はもちろん、神社の名前にも「高麗」が入っている。高麗神社は高句麗滅亡後に日本に定着した流民が最後の王・宝蔵王の息子、高若光(日本名、高麗若光<こまのじゃっこう>)を祀るために建てられた。高若光は666年に外交使節として派遣されたが、滅亡した故国に戻れずここに残った。
 『続日本紀』によると、高若光は703年に王姓を受け、716年に高句麗の流民1799人を集めて高麗郡を建郡した。昨年は在日同胞が寄付金を集め、神社の入り口に高句麗の象徴である三足烏を刻んだ「高麗郡建郡1300周年記念碑」を建てた。現在の宮司(神社責任者)は若光の60代子孫の高麗文康氏が務めている。
 神社の行事に参加した人たちは「高麗大好き、日本大好き、韓国大好き」と叫んだりする。高句麗の流民の痕跡は中国遼陽と雲南、モンゴル「高句麗山城」、タイのチェンライなどにもあるが、日高市ほど根深いところは珍しい。
 高麗郡建郡の42年後には近隣に新羅郡ができた。九州には百済の村の南村がある。大阪の久太良洲(百済洲)の日本語「くだらす」は百済の古語「クダラ(大きな国)」に由来する。扶余(プヨ)の「クドゥレ」という地名と結びつく。熊本と公州(コンジュ)の旧名「熊津(ウンジン)」もつながりがある。
 明仁天皇は2001年の誕生日の記者会見で「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じる」と述べた。来年の退位を控えた明仁天皇が昨日、高麗神社に参拝した。退位する前に韓半島(朝鮮半島)を象徴する神社を訪れて過去の反省と和解のメッセージを送ろうとしているのではという解釈がある。19世紀の行政区域改編で変わった今の日高という地名からも分かるように、ここには韓国と日本が共存する。
 いつか韓日首脳がここで会い、新しい未来を約束する場面を描いてみる。日帝強占期の痛みを考えれば「近くて遠い」隣国だが、悠久の歴史の大きな流れで見れば「近くて近い」のが両国だ。
コ・ドゥヒョン/論説委員

参考: 流れのままに 「ジャパン優勝」(2011年07月18日)
参考: 流れのままに 「新しい日本の旅」(2015年04月04日)  
参考: 明仁氏と上田正昭・京都大学名誉教授との交流(watchdogkisiwada)

天皇皇后両陛下のメッセージが平壌(ピョンヤン)へも届き、平和外交が始まることを願って止みません。


大きな笑顔の佳き週末を。  感謝


(追記)天皇皇后両陛下が高麗神社を訪問なさった翌日のことでした…。
韓国、北朝鮮への8億9000万円の人道支援を決定 文在寅政権で初
(産経 2017.9.21 11:50)
【ソウル=名村隆寛】韓国政府は21日、南北交流協力推進協議会を開き、国連児童基金(ユニセフ)や世界食糧計画(WFP)を通して北朝鮮に800万ドル(約8億9000万円)相当の人道支援を実施することを決めた。対北支援は文在寅(ムン・ジェイン)政権下では初めて。
 韓国統一省は「支援の時期と規模は南北関係の状況などを総合的に考慮し進めていく」としており、実施時期は未定。同省では「政治状況と人道支援は別」とし、従来の韓国政府の立場を繰り返した。支援は乳幼児や妊産婦が対象で、ワクチン、医薬品、栄養改善事業などという。
 韓国政府は今月14日に対北支援の方針を表明。北朝鮮は翌15日に中距離弾道ミサイル「火星12」を発射した。安倍晋三首相は同日、文大統領との電話会談で、支援時期を考慮するよう伝えていた。