昨日12月23日、今上陛下はお誕生日をお迎えになった。おめでとうございます。彼の84歳の誕生日を祝う皇居で行われた一般参賀に集った民衆は記帳者も含め、計5万2千300人となった。陛下は午前中に計3度、皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女眞子さまと共に、宮殿・長和殿のベランダに姿を見せた。今回の一般参賀では初めて、耳が不自由な方たちの為に手話通訳が行われた。

午後には宮殿で祝宴が開かれ、皇族方や安倍晋三首相らが出席。陛下は「国の発展と国民の幸せを願い、併せて一同の健康を祈ります」とお言葉を奉られた。続いて外交団との茶会が開かれ、夕方からは二重橋などのライトアップが行われた。


69年前の1948(昭和23)年12月23日午前零時20分、東京裁判(極東国際軍事裁判)にて有罪判決を受けた7名が処刑。第一組として土肥原賢二氏、松井石根氏、東條英機氏、武藤章氏の4名が、ついで第二組として板垣征四郎氏、広田弘毅氏、木村兵太郎氏の3名の絞首刑が執行させられた。これは先の大戦に勝利した連合国側の一方的な裁判による刑罰であり、私たち日本の民衆としてはこのようなものを裁判として認めるわけにはいかない。

1952(昭和27)年4月28日、前年の9月8日に調印されたサンフランシスコ平和条約が発効。 条約発効直後の5月1日、木村篤太郎法務総裁からA級戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となり、戦犯とされた人々のために4度の国会決議もなされた。主権を回復して、国際社会に復帰した日本国の国会は国内と国外での「抑留又は逮捕された者」たちの減刑と早期釈放を関係各国に要望した。1953(昭和28)年以降、ご遺族は国内法による遺族年金または恩給の支給対象となった。これにより少なからず名誉回復がなされた。


「戦犯在所者の釈放等に関する決議」(1952(昭和27年)年6月9日・第13回国会参議院本会議第49号)
「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」(1952(昭和27)年12月9日・第15回国会衆議院本会議第11号
「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(1953(昭和28)年8月3日・第16回国会衆議院本会議第35号
「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」(1955(昭和30)年7月19日・第22回国会衆議院本会議第43号

サンフランシスコ講和会議の参加48カ国は、 「戦争犯罪による受刑者」の減刑・釈放に同意してくれた。しかしながら、それは国際社会が「戦争犯罪による受刑者」を無実と認めたということではない。なお、この講和会議には、北京政府・台湾政府・ノースコリア・サウスコリアおよびモンゴル人民共和国は招請されなかった。英国はマラヤ・シンガポール・香港などの出席を求めずに、英国が彼らを代表した。 覚えておきたいことがある。それは、私たち日本の民衆と政府が未(いま)だ東京裁判自体とその判決を無効にできないでいる事実。

もうひとつ。東京裁判でA級戦犯28人が起訴されたのは、1946(昭和21)年4月29日の昭和天皇誕生日。その裁判は同年5月3日午前11時20分、市ヶ谷の旧陸軍士官学校の講堂において開廷した。27億円の裁判費用は当時連合国軍の占領下にあった日本政府が支出。この6か月後の同年1946(昭和21)年11月3日に日本国憲法(新憲法)は公布され、その6か月後の翌年1947(昭和22)年5月3日に施行された。そして1948(昭和23)年の昨日12月23日、当時は皇太子だった今上陛下の15歳の誕生日に東條英機氏ら7名が命を奪われたのであった。

大日本帝国憲法(明治憲法)の時代は、個人の尊重や個人の自由ではなく、国家主義つまり国家が何よりも大切であった。国民は天皇を中心とした国家を支えるための臣民(皇族以外の民衆=家来)であった。国全体が家制度のようなもので、家長である天皇が皇族または臣民を守ってあげるだから、臣民は家長のために命を投げ捨てて戦うのだという発想があった。「民(たみ)」には渡ることが許されなかった二重橋を渡ることができた「臣(おみ)」である東条氏ら7名の死は「殉職」と観ることができる。その意味は、己が職務を果たすべく命を捧げたということ。

昨日が東条氏ら7名が殺された日だということを知る人は、そう多くはないだろう。加えて、この日が「ジミーの誕生日」であるということを覚えている方は皆無かもしれない。ただおひとりを除いては。

(追記)
皇居に安倍総理大臣や閣僚を招いて行う予定だった昨年の12月19日の昼食会は、かぜによる発熱の症状があることから取りやめられた。今年は無事行われている。めでたし、めでたし。
天皇陛下、閣僚ら招き昼食会=皇居
(時事 2017/12/21-12:43)
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昼食会で安倍晋三首相らと歓談される天皇陛下=21日午後、皇居・宮殿「連翠」(代表撮影)
 天皇陛下は21日、安倍晋三首相や閣僚、副大臣ら約40人を皇居・宮殿に招き、昼食を共にされた。年末の恒例行事で、皇太子さまも出席した。
 昼食会に先立ち、安倍首相が招待へのお礼を述べると、陛下は「皆さんが国民のために日夜国務に精励されてきたことを誠にご苦労に思います」と慰労。食前酒のグラスを手に、笑顔で歓談した。


閑話休題(それはさておき)


尊敬する草苅健氏のホームページ「雑木林&庭づくり研究室」で、以下のように仰っていただき恐縮しております。今後も精進いたします。ありがとうございます。
■12/21 随流去(ずいりゅうこ)、「流れのままに」
久々に「北の森カフェ」でリンク先をチェック。この秋に廻った千葉・茨城の古刹のHPを加えました。そして畏友・斎藤雅紀さんの表題のブログ「流れのままに」を改めて訪問。いつもながら背筋のピンとする主張と祈りが唱えられます。思わずこちらも姿勢を正し、心の中で合掌。

参照: クリックまたはタップしてご覧いただけるとうれしいです。
生彩ある人生 「ソーシャル・キャピタル」(2017年09月06日)
生彩ある人生 「深雪万象」(2016年02月06日)
生彩ある人生 「the Commons」(2015年08月05日)
生彩ある人生 「見切り」(2015年04月25日)
生彩ある人生 「フューチャー・センター」(2015年01月03日)
生彩ある人生 「水と食料と燃料」(2013年11月04日)


今夜はクリスマスイヴ。聖書暦の一日の始まりと終わりは、一日が12amに始まり翌日の11:59pmに終わる太陽暦とは違う。日没後に星が3つ見えたら一日が始まり、翌日の日没までがその一日の長さとなる。日の長さによって一日の始まりと終わりが毎日変わる。だから、今は太陽暦では24日の20:22だが、聖書暦では既に日が変わって25日のクリスマスになっている。太陽暦ではクリスマスが二日にまたがるので混乱を避けるために前夜を「イヴ」と呼ぶが、聖書暦には「イヴ」と呼ぶ日はなく「クリスマス」があるのみ。


メリー・クリスマス🎶

流れのままに