先日の日曜日、三人のご夫人たちとランチを楽しませていただきました。みなさん、相手に興味を持ち、傾聴する姿勢を大切になさっています。Martha夫人は慎み深く、彼女の求道心は内なるしじまと向き合っている。Misha夫人は思いやりある優しさで、縁ある人々に氣運と機運を知らす(シラス)。Chris夫人は好奇心のヴォルケイノ、彼女の真理への探究心は流れのままに上昇中。三夫人は、喜びを以てご縁のある方々を各々のスタイルでサポートなさっています。2時間ほどのこの会食では、愉快に時が流れました。Martha夫人が『古事記』のカタカナ読み下し文を音読なさっているのを知り、尊いことだと感じました。三夫人に感謝の念を、そして読者の皆さんへ誠意を以て『古事記(ふることふみ)』についてお伝えします。

『古事記』は、全文が祝詞(のりと)そのもの。神さまに奉(たてまつ)る祈りの言葉。神社で奏(そう)される、数々の祝詞の内容が全て記された原文です。だから、『古事記』を音読するのは祝詞を上げることと同じこと。大和言葉(やまとことば)で記されたこの書には、源日本人の持つリズムが、1300年近く前の音が、残されているのです。『古事記』を音読することで、『古事記』が編纂された時代または神代にタイム・リープ(時間跳躍)することができそうです。
ふることふみ@倉野憲司
名著:倉野憲司博士の『日本古典文学大系〈第1〉古事記祝詞』(1958年)

元明天皇(707〜715)の代、詔(みことのり)により太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ;太安万侶(おおのやすまろ))は、稗田阿礼(ひえだのあれ)が「誦習」(※注1)していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を筆録。それを『古事記』として編纂し、712(和銅5)年に献上しました。確認できる日本最古の歴史書で、上つ巻(序・神話)・中つ巻(初代から十五代天皇まで)・下つ巻(第十六代から三十三代天皇まで)の全3巻よりなっています。原本は存在しませんが、後世の写本の古事記の序文に書かれた和銅年及び月日によって、年代を知ることができます。『古事記』に登場する神々は多くの神社で祭神として祀(まつ)られ、今日に至るまで日本の民衆の精神に大きな影響を与えています。『古事記』は全てが大和言葉(和語)なので、漢音は存在しません。ですから「古事記」を“こじき”と漢音で呼よぶのも良いですが、大和言葉で“ふることふみ”と呼ぶのが自然だと感じます。江戸時代の本居宣長が「古事記」の訓読みとして“フルコトブミ”とカタカナで示したことがありましたが、それは伝播(でんぱ)しませんでした。

(※注1)かつて「誦習」は、単に「暗誦」することと考えられていましたが、小島憲之(『上代日本文学と中国文学 上』塙書房)や西宮一民(「古事記行文私解」『古事記年報』15)らの研究で、「文字資料の読み方に習熟する行為」であったことが確かめられています。なお、稗田阿礼に神が懸かったとする説があり、神代の息吹がそのままに保存されている「言靈(ことたま)の書」として『古事記』を見極めることもできそうです。(以上)

かつては古事記原文とその読み下し文は、声を出して音読して読まれることがありませんでした。記紀(『古事記』と『日本書紀』)は、天皇家の書・雲上人の書であり、帝国大学の秀逸な学者のみが「黙読」で研究することを許されていたのです。記紀は天皇と同じように神格化されていた模様。先の大戦後に『古事記』と『日本書紀』が岩波書店から書物となって公開された時点でも、黙読のマナーは継承され、声に出して音読するという風ではありませんでした。明治という時代につくられた新しい伝統は、古事記の音靈(おとたま)を封印し続けたのです。

ところで、国文学者の倉野憲司博士(1902〜1991)は本居宣長の全44巻の註釈書『古事記傳』を「古事記研究史上に永久不滅の偉大なる足跡を残した」と、宣長の功績を高評価しています。しかしながら、博士は1940年〜1942年に刊行の『古事記伝(1)〜(4)』(岩波文庫)の解説に、学者としての矜恃(きょうじ)を以て、以下のように記すのでした。
子細に検討すると、不十分・不徹底の点が少なくない。すなわち宣長の文献学研究においては、自己の学問を皇国学として絶対的なものと考え、その結果古代の客観的解明がやがて主観的な主張となって現れて来ているのである。この論理的矛盾は、彼の偏狭なる国粋主義と神秘主義とに煩わされた結果として生じたものであって、そこに彼の弱点があると考えられる。本文批評においても(中略)不十分な点が多く、同時に首肯しがたい故意の作為を敢えてしている箇所も二・三にとどまらない。

このようなことを書いて出版したなら国賊及び非国民として処罰を受けかねない時代(※注2)に、天皇を神とする神国的発想には注意が必要だとする発言に博士の勇氣を感じます。天皇を神にすることで利益を得ていた者たちとは才を異にした学者です。

(※注2)大日本帝国政府は、1940(昭和15)年2月10日に津田左右吉(1873〜1961)の『古事記及び日本書紀の研究』『神代史の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及思想』の4冊を発売禁止処分に。記紀を否定した書物と誤解されたのです。それは関係者の学力不足によるものだと思います。同年1月に彼は文部省の要求で早稲田大学教授を辞職。津田と出版元の岩波茂雄は同年3月に「皇室の尊厳を冒涜した」として出版法(第26条)違反で起訴され、1942(昭和17)年5月に禁錮3ヶ月、岩波は2ヶ月、ともに執行猶予2年の判決を受けました。(以上)

参照:
『古事記 上巻』(太安万侶著・1870(明治3)年・東京書林 柏悦堂発行)
『古事記 中・下巻」(太安万侶著・1870(明治3)年・東京書林 柏悦堂発行)

流れのままに 「聖母」(2014年06月01日)
流れのままに 「しらす」(2014年08月28日)
流れのままに 「新しい日本の旅」(2015年04月04日)
古事記入門
良書:佐藤寿哉氏の『わかりやすい古事記入門』(日本文芸社・平成2年)
「第三部・『古事記』の全かな表記」(163〜207頁)は、声を出して読む助けとなります。音読の頁を持った日本最初の書だと思います。

(追記)
太安万侶稗田阿礼
伊勢神宮文庫には、約1450年前の物部大連尾輿自身の奉納文や藤原の鎌足・藤原の不比等・源頼朝・源義経等58名の染筆者による99葉の奉納文が保存。奈良時代から江戸時代中期にかけておよそ1000年間に亘り、それぞれの時代のリーダーたちが伊勢神宮へ参拝し、さまざまな思いをこめて奉納したものです。ここには『古事記』を天皇に奏上する4年前に太安麻侶が伊勢神宮に参拝し納めた奉納文(写真)も。神への言葉と時の天皇の表現を二つの古代文字で、そして自分の名前を漢字で記載。興趣が高まるではありませんか。『伊勢神宮の古代文字―ついに現われた幻の奉納文』(丹代貞太郎 小島末喜著・三信孔版・1977年11月刊行)より。

これらの奉納文は、神宮文庫が「かみのみたから」として大切に保管してきたもの。現存のものは明治初年まで伝えられた原本の写しを下敷きにして、久邇宮朝彦親王(1824〜1891)のスタッフが新しい美濃紙に、その輪郭を丁寧に写し取ったものといわれています。しかしながら、書道家・安藤研雪女史の著書『元ひとつ』(絶版)には次の記述があり、『伊勢神宮の古代文字』にあるリーダーたちの奉納文は原本だと思われます。なお、この会食前日の土曜日、三夫人は共に研雪女史にご縁のある書家・川上暢誉(のぶよ)女史の文字の起源やその背後にある深い意味を知るための講演会に参加なさったので、この辺の話しも拝聴したものと思います。暢誉女史は稀に見る人財で、名前の筆跡を修正することで人生が好転することをアドバイスなさっています。
≪第一章 伊勢神宮の古代文字≫
 私は書道家(東京書道院)3代目を継ぎ、普通の文字をお弟子さんと共に 修練していました。
 そんな時、1976年秋天降り日の宮座主...小島末喜氏が歴史学者...坂本弘氏と共に我家に訪れ、大きな巻き紙を広げ、「これは伊勢神宮より出された古代文字である。昭和天皇により、実在人物のお書きになられた奉納文を見せていただける事になりました。そこでお願いがあるのですが、これを至急本に作らなくてはなりませんので虫の喰っているところを直し、美しい文字にし、写真の撮れるようにしていただきたい。」との事。
 私は只、驚くばかりでしたが、私の息子と共にお手伝いをさせていただきました。
 そして1977年11月1日発行となったのが「伊勢神宮の古代文字」だったのであります。
 その時の昭和天皇のメッセージは「この神代文字を表に出したのは、世界の人々に日本の文化の一つとして発表していただきたい。きっと、その実践は世界平和に役立つことであろう。」という事でした。
http://www.kamiyo.org/kamiyo/kensetsu.htmlより引用)

(追記2)
昭和天皇(1901〜1989)は、真珠湾攻撃から一年が経過していた1942(昭和17)年12月に伊勢神宮をご親祭。皇祖天照大神に戦勝を祈願なさいました。戦争終結から3ヵ月を経た1945(昭和20年11月12日)、昭和天皇は再び伊勢神宮をご親祭になり、皇祖天照大神に敗戦を奉告。同年12月15日の神道指令、同月28日の宗教団体法廃止の直前の御幸(みゆき)でした。後年、木下道雄侍従次長に、『戦時後半天候常に我れに幸いせざりしは、非科学的の考え方ながら、伊勢神宮の御援けなかりしが故なりと思う。神宮は軍の神にはあらず平和の神なり。しかるに戦勝祈願をしたり何かしたので御怒りになったのではないか』と語ったといいます。

2016年9月に『昭和天皇実録 第八・第九』(宮内庁編修/東京書籍)の二冊が刊行されました。そこには1945(昭和20)年7月30日に大分県の宇佐神宮、8月2日に福岡県の香椎宮に勅使が派遣されたことが記されています。興味深いのは伊勢神宮ではなく九州に勅使を送り、宣命書(せんみょうがき)により「敵国の撃破と神州の禍患(かかん)の祀除(ばつじょ)を祈念」(『実録 第九』740頁)させたことです。宇佐神宮と香椎宮は神功皇后の三韓征伐に関係のある神社。神功皇后は仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母です。聖母(しょうも)とも呼ばれました。仲哀天皇の死後、三韓征伐を指揮し、凱旋後69年間摂政の地位にあったと伝えられています。昭和天皇の母である皇太后(貞明皇后:1884年6月25日〜1951年5月17日)は、1922(大正11)年3月に九州北部を詣で、香椎宮で神功皇后の靈と感応なさったといいます。もしかすると、昭和天皇は戦争末期まで皇太后のご意向を氣にされていたのかもしれません。皇太后が聖武天皇の皇后で民衆救済のため悲田院や施薬院を作ったことで知られる光明皇后の靈と感応なさっていたら、私たちは異なった日本の歴史の中に生きているかもしれません。(参考:原武史著『皇后考』・講談社・2015年; 「『昭和天皇実録』に 秘められた真実」(原武史氏と浅見雅男氏の対談・週刊読書人ウェブ2017年1月6日)(以上)


今、明治150年を回顧して、その歴史的事実について、常に厳しい反省を重ねると同時に将来を展望し、わが日本の進路に、誤りなきを期すことを心に銘じなければなりません。国民の幸福と世界平和の実現という高い理想に向けて、最善の努力を致すべく、ここに決意を新たにしようではありませんか。私たち日本の民衆は、いつでも「つくしのひむかの たちはなのおどの あはぎはら(筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原)」において御禊祓(みそぎはら)いを行い、身も心も清々しくなって、己が愛(=命=神)を知り、一切を愛し、一切を許すことができるのですから。


楽しみいただけましたでしょうか。
大きな笑顔の佳き日々を。  感謝


(追記3)
 心理学者の河合隼雄博士(1928〜2007)は、日本ウソツキクラブ会長を自称し、「うそは常備薬、真実は劇薬」という迷言を残した面白い人物であった。彼の秀逸な著作に『中空構造日本の深層』(中公叢書 1982 / 中公文庫 1999)があります。
 彼の問題意識は、ヨーロッパで心理療法をマスターして帰国し、それを臨床に活かすも、ある程度は効能はあるものの肝心のところが日本人にはあてはまらないというところから始まるのでした。なぜか。日本人の心のありかたが西洋人とは異なっているからではないのだろうか。そこで、日本人全体の心の深層構造を知るべく探究する中、日本神話に出会ったのでした。
 河合博士が注目したのは、『古事記』の冒頭に登場する三神の高皇産靈神(タカミムスビカミ)・天之御中主神(アメノミナカヌシカミ)・神皇産靈神(カミムスビカミ)の天之御中主神と、伊耶那岐命(イザナギ)と伊耶那美命(イザナミ)が生んだ三貴神天照大御神(アマテラス)・月読命(ツクヨミ)・素盞嗚尊(スサノオ)のうちの月読命とが、「無為の中心」としてしか記されていないこと。また、天孫・邇邇芸命(ニニギノミコト)と木花咲耶姫神(コノハナサクヤヒメ)の間に生まれた三神は、海幸彦こと火照命(ホデリノミコト)・火須勢理命(ホスセリノミコト)・山幸彦こと火遠理命(ホオリノミコト)ですが、兄と弟の海幸・山幸のことはよく知られているにもかかわらず、真ん中の火須勢理命のストーリーは見られない。互いに対立する神々の中間に何の活動もしない「無為の中心」とでも呼ぶべき神が存在すると分析。そして彼は日本神話は「中空構造」をもって成立しているのではないかと推理して、『古事記』の叙述にひそむ神話的中空構造こそが日本人の心そして日本の社会構造や文化構造を理解するためのプロトタイプ的カテゴリーであると考えたのです。
 「中空構造日本の危機」では、中空の空性がエネルギーの充満したものとして存在する(無であって有である状態の)時には有効だが、中空が文字通りの無となる時は「誰しも強力な中心を望む」のであり「何ものかによる中心への侵入を受けやすい構造」と指摘。校内暴力や家庭内暴力の原因として父性の弱さを持ちだし、解決策として「父権復興」を叫ぶことの問題の本質をクリスタライズしてくれました。
 
今どきの弱い、あるいは身勝手な若者を徴兵によって「鍛えてもらおう」などと考えている人は、自らの父親の強さを持つことを放棄し、それを集団にまかせようとする、極めて母性的な発想を抱いているのである。このことは、われわれ臨床家が常に経験するところであり、自分の子供を「厳しく鍛え直す」ことを主張する多くの親は、それを自らがやる意志はなく、他人にゆだねようとする姿勢を示し、その弱さゆえにこそ子供の強烈な反発を引き起こしているのに気づかないのである。このようなことに気づかずに、父権復興のかけ声にのせられ−かけ声に乗ることがそもそも父性の弱さを意味するのだが−あわてて徴兵制復活などをするならば、日本の誇る中空性の中央に、低劣な父性、あるいは母性に奉仕する父性の進入を許すことになり、戦争中の愚を繰り返すことになるのみであろう。(文庫版66〜67頁)

 本書を紐解くことをお勧めします。(以上)

(おまけ1)

古事記の宇宙
(おまけ2)

(おまけ3)

(おまけ4)
NPO(特定非営利活動)法人 地球ことば村・世界言語博物館のサイト内に世界の文字についての考察があり、古代から現代までのさまざまな言語と文字を知ることができる。次の三文字の考察は特に面白かったので、ピックアップしました。クリックしてお楽しみください。
→ 神代文字
→ エジプト神官文字 Egyptian Hieratic
→ これは文字ではない ― 「手宮の古代文字」