昨夜、テレビで江利チエミさん(1937年1月11日〜1982年2月13日)の特集番組が放映。久々に、チャンネルを変える氣が起きなかった。多才な彼女の45年の人生は、実に多彩。

彼女は12歳の頃から進駐軍キャンプ回りをして歌っていた。家計を賄うためである。ある日、ひとりの進駐軍の兵士から「Tennessee waltz」のレコードをプレゼントされる。歌手になる志を抱いていた彼女は、この曲でデビューしたいと願い、各レコード会社のオーディションに。合格の道は険かったが、オーディションを受け続けた。14歳の時にようやく、キングレコードのオーディションに合格。彼女の「Tennessee waltz」は1951年11月にレコーディングされ、翌1952年1月23日発売。パティ・ペイジさん(Patti Page:1927〜2013)のレコード録音が1950年11月だからこのスピードに、チトびっくり。

興味深いお話しが二つある。
ひとつは、チエミさんのこと。当時キングレコードは彼女を『14歳の天才少女』のキャッチで売り込みたかった。しかし、レコード発売日1952年1月23日の13日前に彼女は15歳に。「嘘をつくのは嫌だ!」と言い続けたチエミさんの胆力にキングレコードは説得され、そのキャッチは幻になったという。『15歳の天才少女』ではいけない理由は、美空ひばりさん(1937年5月29日〜1989年6月24日)と関係があるかもしれない。彼女は1953年4月3日にドリス・デイさん(1922年生)が前年にヒットさせたスイング系のジャズ・ソング「Shanghai(上海)」をレコーディング。15歳であった。ひばりさんに抜きんでるために、レコード会社は「14歳」が欲しかったのかも。頑(かたく)なに『14歳の天才少女』となるのを断った逸話から、チエミさんの正直一徹な人となりが伝わってくる。

もうひとつは、高倉健さん(1931年2月16日〜2014年11月10日)のこと。彼が主演した映画『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年)の降旗康男監督(1934年生)は当初、「Vaya Con Dios」をテーマソングとして考えていた。キャストを含めた関係者が製作打ち合せの席でのこと。各自が良しとするテーマソングの候補曲について話し合っていた。スタッフから問われた健さんは、不意にゆっくりと「Tennessee Waltz」と答えるのであった。彼の人となりを良く知る降旗監督は、彼にとってのチエミさんの存在の大きさを改めて知らされた。自然、監督はテーマ曲を「Tennessee Waltz」に変更・決定。その事実を知らされた健さんは、「そんな個人的なこと、まずいんじゃないですか…」と言った後は一言も話さず、黙ったままでいたという。この作品が公開された時、彼は「テネシーワルツが聴こえてくると、未だにドキッとする」と語った。チエミさんが昇天なさってから、彼女の墓をお参りし供養し続けた健さん。実に、愛おしいお二人である。


閑話休題(それはさておき)


パティ・ペイジさんの1950年にリリースされた「Tennessee waltz」は同年に13週間にわたって1位の座にあった。累計売上げ600万枚と伝えられている。ビルボード誌のヒット・チャートでは1950年代最大のヒットを記録。「恋人とテネシーワルツを踊っていたら、旧友が来たので恋人を紹介したら、その友達に恋人を盗まれてしまった」という内容の歌で、歌い手が男性か女性化によって旧友をしめす代名詞がhimまたはherに代わる。チエミさんが歌う日本語訳詞では、主人公が男性になっている。15歳のチエミさんの歌声をお楽しみください♪



I was waltzing with my darling 
To the Tennessee Waltz
When an old friend I happened to see
I introduced her to my love one
And while they were waltzing
My friend stole my sweetheart from me

去りにし夢 あのテネシーワルツ 
なつかし愛の歌 
面影偲んで 今宵も唄う 
麗しテネシーワルツ


思い出懐かし あのテネシーワルツ
今宵も流れ来る
別れたあの娘(こ)よ 今は何処
呼べど帰らない…

I remember the night and Tennessee Waltz
Only you know how much I have lost
Yes, I lost my little darling
The night they were playing
The beautiful Tennessee Waltz