問題は被害を受けたと主張する方々が、未だ救済されいないこと。単なる人権問題に矮小(わいしょう)化してはいけません。

本件は、日本政府に対してではなく、日本の企業に対して南朝の市民4人が賠償請求した事件。被告が日本の一企業で、原告が南朝市民(個人)という民事訴訟である。そして、ここがポイントなのだが、サンフランシスコ平和条約第4条に基づき、朝鮮との請求権問題を解決するために1965年06月22日に結ばれた戦後補償である(戦争賠償ではない)「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約と同時に締結された財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(「日韓基本条約」)に付随する「日韓請求権協定」には、「日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」が適用対象に含まれていないと判断されたこと。

外務省は「大韓民国大法院による日本企業に対する判決確定について」(外務大臣談話)として日本語・英語・フランス語・スペイン語・アラビア語(中国語とロシア語は今後?)で、南朝の「損害賠償の支払等を命じる判決を確定させました。この判決は,日韓請求権協定第2条に明らかに反し、日本企業に対し不当な不利益を負わせるものであるばかりか、1965年の国交正常化以来築いてきた日韓の友好協力関係の法的基盤を根本から覆すものであって、極めて遺憾であり,断じて受け入れることはできません」と表明・発信している。個人の請求権は二国間の合意で解決済みという日本の立場は正しい。請求権を持つ個人に対する補償義務は南朝政府が負うのだし、元徴用工の賠償請求権については日本が南朝に供与した無償3億ドルに「包括的に勘案されている」と理解し続けてきた。南朝政府はこの補償金を個々人にはほとんど支給せず、自国の経済基盤整備の為に使用。両国政府が足並みをそろえて、彼らを救済する術(すべ)を編み出し、実施したい。
韓国最高裁判決の要旨=徴用工訴訟
(時事 2018/10/30-21:03)
 【ソウル時事】元徴用工4人が新日鉄住金の賠償を求めた訴訟で、韓国最高裁が30日言い渡した判決の要旨は次の通り。
 一、被告(新日鉄住金)の上告を棄却し、被告が原告に対し、1人当たり1億ウォン(約1000万円)の慰謝料を支払うことを命じた原審(差し戻し控訴審)判決を確定させた。
 一、日本の裁判所の判決の効力を認定できない。
 一、旧日本製鉄への損害賠償請求権は被告にも行使できる。
 一、時効成立という被告の主張は許容できない。
 一、核心争点は1965年の日韓請求権協定で原告の損害賠償請求権が消滅したとみることができるかだった。
 一、多数意見(7人)は「日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」は、請求権協定の適用対象に含まれていないと判断した。
 一、別意見(1人)として、「2012年5月24日に言い渡された判決で既に、最高裁は、原告の損害賠償請求権が請求権協定の適用対象に含まれていないと判断しており、その判決の拘束力により再上告審でも同様の判断をせざるを得ない」という趣旨の見解があった。
 一、別意見(3人)として、「原告の損害賠償請求権も請求権協定の適用対象に含まれているが、請求権協定により、その請求権に関する韓国の外交的保護権が放棄されたにすぎず、個人の請求権が消滅したとみることはできないため、原告は被告を相手取り、わが国で損害賠償請求権を行使することができる」という趣旨の見解があった。
 一、反対意見(2人)として、「原告の損害賠償請求権が請求権協定の適用対象に含まれており、韓国の外交的保護権のみが放棄されたのではなく、請求権協定により原告の権利行使が制限される」という趣旨の見解があった。
 一、反対意見は「協定を無効だと見なさないのであれば、守らなければならず、個人請求権を行使できずに、被害を受けた国民に対して、国家(韓国)は正当な補償をしなければならない」としている。
 一、補充意見(2人)として、「多数意見の立場が条約解釈の一般的原則に照らし、妥当だ」という趣旨の見解があった。

彼ら4人は元徴用工ではなかったのだから事実誤認であり、判決の理由中の判断を覆すべき事情があることを主張・指摘して、不服を申し立てるのもありだ。被告である日本企業は、日本政府のデーターを援用できるだろう。
「原告は募集に応じた方で徴用された方ではない」 河野外相
(NHK 2018年11月9日 18時51分)
 太平洋戦争中の徴用をめぐって、韓国の最高裁判所が日本企業に賠償を命じた判決について、河野外務大臣は記者会見で、「今回の裁判の原告は募集に応じた方で、徴用された方ではない」と述べました。
 韓国の最高裁判所は、先月30日、太平洋戦争中の徴用をめぐる裁判で、新日鉄住金に、損害賠償を命じる判決を言い渡しました。
 この判決をめぐって、河野外務大臣は、9日の記者会見で、記者団から安倍総理大臣が国会で裁判の原告を「旧朝鮮半島出身労働者」と答弁した理由を問われたのに対し、「今回の原告は募集に応じた方だと、政府として理解している。徴用された方ではない」と述べました。
 一方で、河野大臣は、「日本政府として、韓国政府に断固たる意思を持って適切に対応するよう求めているが、だからといって日韓両国の国民の間の交流に影響が出るべきではない。ぜひ、国民間の交流や自治体間の交流はしっかり続けてもらいたい」と述べました。

しかしながら、2007年の西松建設事件の最高裁判決の判決文の次の一文に無知であってはいけません。河野太郎外務大臣(1963年1月生)と外務省スタッフは一所懸命に勉強・研究なさってこの一文が持つ意義を咀嚼していただきたいと願っています。
5 まとめ
 本訴請求は,日中戦争の遂行中に生じた中国人労働者の強制連行及び強制労働に係る安全配慮義務違反等を理由とする損害賠償請求であり,前記事実関係にかんがみて本件被害者らの被った精神的・肉体的な苦痛は極めて大きなものであったと認められるが,日中共同声明5項に基づく請求権放棄の対象となるといわざるを得ず,自発的な対応の余地があるとしても,裁判上訴求することは認められないというべきである。したがって,請求権放棄をいう上告人の抗弁は理由があり,以上と異なる原審の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,その余の点について判断するまでもなく,被上告人らの請求は理由がないというべきであり,これを棄却した第1審判決は結論において正当であるから,被上告人らの控訴をいずれも棄却すべきである。
 なお,前記2(3)のように,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいても,個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないところ,本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方,上告人は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け,更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると,上告人を含む関係者において,本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/580/034580_hanrei.pdf


閑話休題(それはさておき)


国家総動員法に基づいて制定された国民徴用令(昭和14年7月8日勅令第451号)は、先の大戦の終結まで行われた。以下、ウキペディアより引用。
 日中戦争の全面化によって、日本の戦争の長期化・総力戦化が確実な状況になり、相次ぐ徴兵に伴う労働力不足と軍需関連を中心とした需要と生産規模の急激な拡大によって労働コストが急激に上昇していった。この事態に対応するために軍需関連を中心とした労働力の安定確保を図る必要性が生じた。
 日本では既に第一次世界大戦中の1918年(大正7年)3月に制定された軍需工業動員法が存在していたが、強制力は非常に弱いものであった。そのため、政府は1938年(昭和13年)3月に国家総動員法、翌1939年(昭和14年)7月に国民徴用令(国家総動員法第4条に規定された勅令に相当)を公布して国民の職業・年齢・性別を問わずに徴用が可能となる体制作りを行った。当初は国民職業能力申告令に基づいて申告を義務付けられた職能の技能・技術者を対象とし、職業紹介や各種募集で確保できない重要産業の人員確保に限定して、担当官庁が必要最低限の人数の徴用を行うとする限定的なものだったが、徴兵規模の拡大に伴う人員不足と賃金の上昇は深刻となり、特に1941年(昭和16年)の太平洋戦争開戦後は深刻なものとなった。そのため、国民徴用令に伴う徴用命令が濫発され、翌1942年(昭和17年)には企業整備令が公布され、平和産業や軍需転用が困難な中小企業や商工業者は強制的な統廃合処分を行い、余剰人員を動員に振りあてた。1943年(昭和18年)の国民徴用令・国民職業能力申告令の改正によって徴用制度の整理と効率化が図られ、国家が必要と認める場合にはいかなる職能の技能・技術者でも指定の職場に徴用可能(「新規徴用」)とし、また特定の企業・業務従事者を事業主以下企業全体を丸ごと徴用することも可能(「現員徴用」)とした。その結果、1944年(昭和19年)3月までに288万人余りが徴用され、一般労働者全体の2割を占めるまでになり、結果的には強制的な産業構造の変化と労働者の配置転換を全国的に行う事態に至った。
 こうした徴用は現実の食料などの物価上昇を無視して、一般国民を国家の命令で転職させて低賃金で働かせるものであったことから、大変評判が悪かった。当初こそは、徴兵に次いで国家に奉公する名誉が与えられたとする考えもあり、積極的に徴用に応じる空気もあったが、労働環境の劣悪ぶりと度重なる徴用令、そして勤務先の強制的な解散・組織全体の徴用などに伴って、徴用に対する一般国民の反発は高まっていった。既に1940年(昭和15年)の段階で徴用拒否者が問題化し、徴用の動員令状である「白紙」は、軍隊の召集令状である「赤紙」と並んで人々を恐れさせた。[要出典]徴用拒否は1943年〜1944年頃には深刻化して徴用制度そのものが崩壊の危機を迎えた。このため、学徒勤労動員や女子挺身隊の名目で学生や女子などの非熟練労働者に対する動員が行われた。終戦時において、被徴用者は新規徴用161万、現員徴用455万、合わせて616万人が徴用されていた。

日本統治時代の朝鮮半島では、1944年8月8日、国民徴用令の適用を免除されていた朝鮮人にも適用するとした閣議決定がなされた。その後、1944年9月より朝鮮人にも適用され、1945年8月の終戦までの11ヶ月間実施。日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月までの7ヵ月間であった。
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「徴用工」判決 韓国首相「協定を否定するものではない」
(NHK 2018年11月7日 21時01分)
 韓国のイ・ナギョン(李洛淵)首相は、太平洋戦争中の徴用をめぐり日本企業に賠償を命じた判決に関する声明を発表し、「判決は1965年の請求権・経済協力協定を否定するものではない」としたうえで、韓国政府として対応策をまとめるために努力していると強調しました。
 韓国外務省は7日午後、太平洋戦争中の徴用をめぐり最高裁判所が日本企業に賠償を命じた判決に関するイ・ナギョン首相の声明を発表しました。
 この中で、イ首相は「日本政府の指導者たちが過激な発言を続けていることに深い憂慮を表明する。発言は妥当でも賢明でもなく、司法の判断に政府が介入しないのが民主主義の根幹だ」として、日本政府をけん制しました。
 そのうえで「判決は1965年の請求権・経済協力協定を否定したものではなく、協定を認めたうえで適用範囲がどこまでかを判断したものだ」としています。
 一方で、日本政府が求めている対応については「韓国政府の関連部署と民間の専門家たちの知恵を集め、対応策をまとめるために努力している。政府は被害者の傷を癒やすことに最善を尽くすだろう」として、具体的な中身について言及しませんでした。

過去にはこんなこともありました。思い返してみましょう。
元米兵捕虜に謝罪 三菱マテリアル、強制労働で
(日経 2015/7/20付)
【ロサンゼルス=共同】第2次大戦中、日本国内の銅山や鉱山などで米国人捕虜らに強制労働をさせたとして、三菱マテリアルの木村光常務執行役員、社外取締役の岡本行夫氏らが米ロサンゼルスで19日、元米兵捕虜でカリフォルニア州に住むジェームズ・マーフィー氏(94)らと面会し、謝罪の言葉を直接伝えた。
 米兵捕虜による強制労働に対して、日本政府はこれまでに謝罪しているが、企業による元捕虜への公式な謝罪は初めてとみられる。
 双方は人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」で面会、その後記者団の質疑に応じた。エイブラハム・クーパー副所長によると、木村氏らがマーフィー氏に謝罪の言葉を伝えて頭を下げ、マーフィー氏が受け入れると表明した。
 木村氏によると、三菱マテリアルの前身である三菱鉱業が捕虜約900人を日本国内4カ所の鉱山に受け入れ、過酷な労働を強いた。木村氏は「事業を継承する会社として道義的な責任を感じている」と述べ、謝罪の表明は自社単独で決断したと説明した。
 マーフィー氏は「歴史的な出来事を目の当たりにした。われわれ捕虜は70年間、この謝罪を待ちわびていた」と述べた。

1910年に朝鮮半島を併合し、大陸に進出したことの竹篦(しっぺい)返し(※注)が、約100年という時間のエネルギーを使って進行中です。ヤマトダマシイ(http://way6.livedoor.blog/archives/53248475.html)を忘れ続けた100年、江戸時代の教養ある日本人が消えてからの100年後に私たちはそのツケを支払わされています。『五族協和( Five Races Under One Union)』と言って、満州国の民族政策の標語で「和(日)・韓・満・蒙・漢(支)」の五民族が協調して暮らせる国を目指した時代があったことも想い返してみましょう。

(※注)日本の神々が賛意を示さなかった半島併合と大陸進出を原因とした結果。


早いもので、11月10日になりました。
朝夕めっきり寒くなりました。ご自愛願います。

大きな笑顔の佳き週末を。