文仁親王殿下お誕生日に際し(平成30年)
文仁親王同妃両殿下の記者会見
会見年月日:平成30年11月22日 会見場所:秋篠宮邸
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(前略)
関連質問1 殿下にお尋ねいたします。お代替わりに関する日程や規模について,いろいろ宮内庁の方でも発表があり,決まりつつありますが,先ほど殿下には皇嗣となられる公務の在り方についてのお考えをお聞きしましたが,即位の行事や儀式についてもお考えがあればお聞かせいただきたく思います。
殿下: 行事,そういう代替わりに伴う行事で,いわゆる国事行為で行われる行事,それから皇室の行事として行われるものがあります。国事行為で行われるものについて,私が何かを言うことができるかというと,なかなかそういうものではないと思います。そういうものではないんですね。一方,皇室の行事として行われるものについてはどうか。これは,幾つかのものがあるわけですけれども,それについては,ある程度,例えば私の考えというものもあっても良いのではないかなと思っています。
記者: 具体的に。
殿下: 具体的にもし言うのであれば,例えば,即位の礼は,これは国事行為で行われるわけです,その一連のものは。ただ,大嘗祭については,これは皇室の行事として行われるものですし,ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて,それを国費で賄うことが適当かどうか,これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども,その頃はうんと若かったですし,多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局,そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ,私として,やはりこのすっきりしない感じというのは,今でも持っています。整理の仕方としては,一つの代で一度きりのものであり,大切な儀式ということから,もちろん国もそれについての関心があり,公的性格が強い,ゆえに国の国費で賄うということだと。平成のときの整理はそうだったわけですね。ただ,今回もそうなわけですけれども,宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに,それは,私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。今でも。ただ,それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ,そのできる範囲で,言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。少なくとも皇室の行事と言っていますし。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思いますし,そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ,残念ながらそこを考えること,言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています。
(後略)


新嘗祭のうち天皇が即位して最初に行われる「新嘗祭」を「大嘗祭」(だいじょうさい)という。「平成2年に挙行された大嘗祭についての考え方(政府の説明)」によると、宗教上の儀式としての性格を有すると見られる大嘗祭を国事行為として行うことは困難である。しかし、皇位の世襲制をとる日本国憲法下では、大嘗祭は公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であるとしている。皇室の行事(宮中行事)だけれども、国事行為の如く宮廷費(国費)で賄うということ。言霊を理解する天皇による禊祓の賜物が大嘗祭だと意識させるものことが関係者の間に伝えられているのかもしれない。

皇室経済法第3条によると、宮内庁関係の予算は内廷費・皇族費・宮廷費の三つに分かれている。今回、秋篠宮殿下がご提案なさった「内廷費」というのは、天皇・内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるもの。皇室経済法第4条と皇室経済法施行法第7条により定額が定められ、平成30年度は3億2,400万円。内廷費として支出されたものは御手元金となり、宮内庁の経理する公金ではない。この御手元金で大嘗祭を執り行おうというのが殿下のご提案。来年の大嘗祭は従前通りに、宮内庁の経理する公金である宮廷費(皇室経済法第5条)から支出される。何らかの勢力が、皇位を継承したことを国の内外に示す(即位)一連の儀式である「即位礼正殿の儀」(即位の礼)と同様に大嘗祭を執り行うことの慣習化を阻止すべく、秋篠宮殿下を彼らの手のひらで踊らせているのかもしれない。近い将来政治的な勢力に宮中行事を蔑ろ〔無きが代(しろ)〕にされることが危惧される。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai8/8siryou3.pdf

大嘗祭の儀式の位置付け
▼ 大嘗祭は、前記のとおり、収穫儀礼に根ざしたものであり、伝統的皇位継承儀式という性格を持つものであるが、その中核は、天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える。……
(平成元年12月21日 閣議口頭了解(「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について)の別紙より)

大嘗祭の費用
▼ ……大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、前記のとおり、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。
(平成元年12月21日 閣議口頭了解(「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について)の別紙より)

神饌(しんせん)料の米・粟を耕作そして献上する悠紀(ゆき)と主基(すき)の地域(斎田を設ける地方)を日本国から卜定(ぼくじょう)し、そこで育った稲を大嘗祭に奉納する。また、斎田を設ける地方を悠紀国・主基国といい、大嘗祭の神事を行なう大嘗宮も、悠紀殿・主基殿の二つの神殿からなる。当夜、天皇陛下は廻立殿(かいりゅうでん)にお出ましになり、小忌御湯(おみのおゆ)で潔斎、斎服をつけ、東の斎場である悠紀殿に入り神饌を神に供し、告文(こうもん)を奏し、次に神と直会(なおらい)をされる。あと廻立殿に帰り、ついで西の斎場である主基殿に入り悠紀殿と同じ次第のことをされる。天皇陛下が自らの立場を宣明するために欠かすことの出来ないこれら聖水沐浴・神人共食・御衾(おぶすま・寝所)の所作は、古代から秘かに伝えられてきた正当な即位の儀式に他ならない。

私たち民衆は一人ひとりが、神の代理である「大御心(おおみこころ)」としての天皇陛下の「大御宝(おおみたから)」である。人間由来の権力を持ったに過ぎない政治勢力が、大御心と大御宝を自由に支配することは神(公)に認められるはずがない。


大きな笑顔で邪氣を払って参りましょう。