日本の帝国大学は1886年の東京、1897年の京都、1907年の東北、1911年の九州、1918年の北海道と続いて、6番目を1924(大正13)年に日本統治下の朝鮮の京畿道京城府(現:ソウル特別市)に京城(けいじょう)帝国大学(城大)として設立した。文部省管轄ではなく、朝鮮総督府管轄であった。朝鮮人の為の学校ではあるが、予科(旧制高校に準ずる課程)入学者の3分の2の学生が日本本土からの日本人と朝鮮在住の日本人であり、朝鮮人は約3分の1であった。三・一独立運動後、私立専門学校の大学昇格運動や民立大学設立運動が勃興するなど朝鮮人の教育エネルギーが爆発したことも京城帝国大学の設立の一要因となった。(参照:稲葉継雄著 『京城帝国大学予科について一「朝鮮的要素」と「内地的要素」を中心に一』・九州大学大学院教育学研究紀要 7, 35-49, 2004) 1945年10月17日に京城大学と改称されるも、合衆国軍法令102号により1946年8月22日に閉鎖された。城大の固定資産を受け継いで新設されたものが現ソウル大学校だが、旧帝大との連続性は皆無。加えて、7番目が1928年の台北帝国大学(台湾大学の設立母体)、8番目が1931年に大阪医科大学から昇格した大阪帝国大学、そして9番目が1939年名古屋医科大学から昇格した名古屋帝国大学である。6番目の帝大である城大の設立は、当時の日本人が半島に夢見た世界を顕現する方策のひとつであった。

人が良くて親切な日本のリーダーたちのツケを今、私たちは払わされている。半島と大陸をアンタッチャブルなゾーンとして理解・咀嚼できていたら、朝鮮併合(1910年8月29日〜1945年9月9日)や、国家ではない支那共産党と蒋介石率いる支那国民党(軍閥政党)を相手にした支那事変(1937年7月17日〜1941年12月8日)などは起こさなかったに違いない。船津和平工作により現地停戦協定を1937年8月9日に上海で結ぶことになったのだが、海軍上海陸戦隊の大山勇夫中尉が、車で走行中に、支那の保安隊に包囲され、機関銃で撃たれ惨殺。さらに瀕死の状態の彼は車外に引きずり出され、頭を青竜刀でまっ二つに割られたという事件を起こされて、この和平会談は白紙の状態となってしまった。そしてこの1週間後に第二次上海事変を起こされてしまう・・・等々。日本が半島と大陸に犯した過ちのすべてが、663年の白村江の敗戦という危機(「記紀」)の時代への無知から来ていると知り、2015年04月04日に『新しい日本の旅』と題して以下のように記した。
1999年1月刊行の『白村江〜古代日本の政敵と薬師寺の謎』(鈴木治著)は、663年の白村江の敗戦のあと、唐から2千人もの人員を擁する使節が日本に上陸した史実を指摘し、そこにゆるやかな唐の日本支配があったことを教えてくれる。周知のように、日本は唐の律令制を整え、絢爛たる天平文化の花を咲かせた。唐の圧倒的な影響下にあって、敗戦国日本が建前としては独立国としての面子を保ちながらも、実質的には保護国化していたのではないか、というのが鈴木氏の仮説。

しかしながら、白村江の敗戦という危機の時代に、まず古事記が、次に日本書紀があらわれたことも忘れてはいけない。ある種の危機が到来し、自分たちのアイデンティティを確認しようとするときに、わが国では古いものを学ぼうとしてきた。だから古事記は大和読みで「フルコトフミ」と発音してみると、その意味がイメージしやすい。二書を「記紀」(危機)と総称しているのも興味深い。

白村江の敗戦に先の大戦の敗戦後にサンフランシスコ講和条約調印を経て形式的に独立国となった戦後日本の姿を重ねてみるなら、先の大戦後70年というのは西欧文明又はフリーメイソンリーに代表される合衆国文明という障害の受容期と見えてくる。(後略)

『独立宣言(Decralation of Independence)』 は、1776年7月2日の第2回大陸会議総会で13植民地の全会一致で決議され、7月4日に再確認(採択)されて、8日にフィラデルフィア市民に正式発表。翌日ニューヨークのワシントン軍の前で朗読され、二つの合衆国の大切な理念(=民主主義の理念)が表明された。

自明の理としてすべての人は平等に造られ」と
一定の奪いがたい天賦の権利を賦与され、そのなかに生命、自由および、幸福追求の含まれ

である。合衆国の歴史は、この独立宣言に盛られた民主主義の理念を、いかに達成していくかということに要約できる。しかし、共通の理念をすべての合衆国の民衆が一致してもったわけではない。時には、民主主義の理念の解釈が異なり、抗争が生じ、分裂の危機に見舞われてきた。にもかかわらず、それを克服し、また、その抗争ゆえに、合衆国はより強固に理念を追求するために国家建設を続行し、成長してきた。

今後は親切であって人が良いアメリカ人が、合衆国本土に移民として受け入れた半島出身者と大陸出身者の行動により、日本の民衆が半島と大陸で体験したことを再現させられることもありえるだろう。北アメリカ大陸が、合衆国の理念よりは自分たちのアイデンティティを最優先とする彼らによって育てられた大統領とその勢力によって、乗っ取られる可能性は否定できないだろう。このリスクを回避すべく、己を知ろうとする努力を怠ったことが原因で、大東亜戦争での敗戦という結果を導いた『日本の記憶 (Memories of You, Nippon.)』を紐解き、対処してもらいたい。



閑話休題(ソレハサテオキ)

日銀の株投資24兆円
「日本売り」買い支え 海外投資家ばかり得
(赤旗 2019年1月11日(金))
 日銀による株式市場への投資である株価指数連動型上場投資信託(ETF)の購入額が2018年12月までの累計で23・9兆円にのぼりました。海外投資家が日本株売りを増やす中、日銀による株価下支えが異常な額に達しています。
 ETFはいくつもの大企業の株式銘柄を組み入れた金融商品です。ETFを買うことによって日銀は間接的に日本の大企業の株を買い、株価をつり上げてきました。アベノミクス(安倍晋三政権の経済政策)の主要政策です。安倍首相は就任翌年の訪米の際、ニューヨーク証券取引所で講演し、「バイ・マイ・アベノミクス」(わがアベノミクスを買ってください)とまで言って、日本株買いを呼びかけました。
 しかし、17年以降は米国の利上げや米中貿易摩擦などで世界経済の先行きに不安が強まり、海外投資家は日本株の「売り」を増やしています。18年には海外投資家が売った株は買った株を5・7兆円も上回りました。これに対して日銀は18年だけで6・5兆円ものETFを買い入れました。日銀が巨額の下支えをしたことで、海外投資家は株価が暴落する心配もなく、安心して保有株を売ることができました。
 18年末の株価は17年末から13%も下落しました。安倍政権と日銀の株価つり上げ政策は失敗し、日本株を売り抜けてもうけた海外投資家ばかりが得をしています。
日銀の株投資24兆円

ETF 6.5兆円過去最高 日銀の株式買い、歯止めなく
(東京新聞 2018年12月29日 朝刊)
PK2018122902100046_size0[1] 日銀が金融緩和の一環で行っている上場投資信託(ETF)の二〇一八年の買い入れ額は計六兆五千四十億円と過去最高となった。最近の世界的な株安を受け、買い入れ額のメドとする六兆円を大きく超えた。日銀による株の買い支え姿勢が鮮明となる中、株式市場の機能の低下や将来の損失リスクも高まっている。 (岸本拓也)
 取引最終日の大納会の二十八日も日銀はETFを七百十五億円買い入れ、日経平均株価はぎりぎり二万円を保った。年間では、これまで最高だった昨年の五兆九千三十三億円を約10%上回った。夏場以降に株価下落が進み、買い入れが増加。日経平均が二二〇〇円近く下がった十月は、月間買い入れ額が過去最大の八千七百億円となった。今月も七千九百六十一億円と過去四番目だった。
 日銀は白川方明(まさあき)前総裁時代の一〇年十二月からETF買い入れを開始。当時はリーマン・ショック後で日経平均が一万円を下回り、投資家不安を和らげる狙いだった。一三年三月に就任した黒田東彦(はるひこ)総裁は買い入れ枠を拡大。株価が上昇基調になっても枠を順次増やし、現在は「年間約六兆円」を目安に掲げる。
 今年七月には「市場状況に応じて上下に変動しうる」と政策を修正。六兆円超えを容認したことで買い入れ拡大につながった。
 中央銀行による株買いは、主要国はどこも採用していない異例の策。いまや日銀のETFの保有残高は二十三兆円を超え、時価では日本市場の約4%に上る。日銀が実質的大株主となる企業も増えることで、企業価値が株価へ適切に反映されず、市場にゆがみを生じさせる懸念がある
 ETFは、売却しない限り日銀が持ち続ける。将来、株価が急落した場合、日銀は含み損で債務超過のリスクを抱える。前日銀審議委員で野村総研の木内登英(たかひで)氏は「簿価(取得額)から三割余り株価が下がれば、日銀の自己資本はほぼ無くなる。常に爆弾を抱えているようなもの。買い入れを減らす方向に正常化すべきだ」と指摘する。
<ETF(上場投資信託)> 証券取引所に上場する投資信託で、個別企業の株と同じように売買ができる。複数の大企業の株式を組み合わせ、東証株価指数(TOPIX)や日経平均株価に連動する商品が代表的。日銀は、信託銀行を通じてTOPIX連動型を中心に買い入れている。買い入れ基準は非公表だが、市場では、午前中に株価が0・5%前後下がると、午後に日銀が買うと言われている

日本銀行法
(解散)
第六十条
 日本銀行の解散については、別に法律で定める。
2 日本銀行が解散した場合において、その残余財産の額が払込資本金額を超えるときは、その超える部分の額に相当する残余財産は、国庫に帰属する。


大きな笑顔の佳き連休を。