新年度が始まりました。
みなさん、いかがお過ごしですか。

草木の芽ぐむ春、大きな笑顔で参りましょう。

邪気のない笑いのある会話には浄化作用があるものです。
 新元号に関して侃侃諤諤だが、昭和天皇が崩御された時は、ちょうどSF作家が集っていて、新元号はどうするかという話になった。明治、大正、昭和と、すべて製菓会社の名前なので、次は森永がいいとおれが言うと、チョコ好きの小松左京がモロゾフにしろと言い、星新一がロッテオバQガム元年などと基地外みたいなことを言い出して、全員腹をかかえたものだ。

「偽文士日碌」 二〇一九年 三月三十日(土)より引用

平成に続く元号が『令和』(REIWA)に決まったと、菅義偉官房長官は昨日午前の記者会見で発表。飛鳥時代の孝徳天皇(第36代天皇)によって西暦645年に制定された「大化」以降、史上248番目の元号となる予定。昨日、新元号の「令和」を記した「元号を改める政令」は天皇陛下が署名なさった後に公布された。皇太子さまが新天皇に即位なさる5月1日午前0時、この政令は施行される。

項番号を除き31字と短い「元号法」(昭和54年法律43号)を見ることにしましょう。
第1項:元号は、政令で定める。
第2項:元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。
附則
第1項:この法律は、公布の日から施行する。
第2項:昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。

この法律に従って、「平成」の元号は「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)により、1989(昭和64)年1月7日に公布され、翌日1989(平成元)年1月8日に施行された。

菅官房長官は発表記者会見で、「令和」は万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文、「初春の月にして気淑く風ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭(らん)は珮(はい)後の香を薫らす」を典拠としたことを明らかにした。九州大宰府で生まれた歌である。万葉集のこの部分は、後漢代の大天才にして政治家・天文学者・数学者・地理学者・ 発明家・製図家・文学者・詩人である張衡(ちょうこう:78〜139)の「帰田賦」(きでんのふ)から引用していることは識者たちにより周知の事実となっている。万葉集の漢語原文は「于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉」なのだから、これが帰田賦の「於是仲春令月、時和氣清」(春二月、季節は穏やかで空気は澄んでいる)へのオマージュ(リスペクト)であることは間違いなさそうだ。だから、「令和」の典拠は日本の国書であるとするにはチト、無理がある。典拠は、中国の書物(漢籍)の影響を受けた日本の書物(国書)というところだろうか。

ところで、元号「令和」の考案者が万葉学者の中西進博士(1929年8月生)であることが1日、政府関係者への取材で分かった、と日経が報じた。彼は、日本古典と中国古典双方に詳しいとして研究者の間で評価が高い。張衡は、安帝末期から始まり順帝時代まで続いていた首都洛陽の宦官政治の邪気を払うべく朝廷を辞し、河北に去った。そして河北河間の行政官の任を務めた後の138年に引退し、南陽に戻り、農事に勤しみながらその年に書いた作品が「帰田」である。だから、帰田賦の「於是仲春令月、時和氣清」が典拠と観るなら、中西博士の該博の知識(天の声)を以って、「令和」に現代日本の政治の邪気を払う願いを込めた可能性はありそうだ。

現代日本の政治は洛陽の宦官政治に負けず劣らずの邪気をはらんでいて、元号発表は政府により政治ショーと化し、その影響を受けているテレビは朝から晩まで一日中新元号のニュースに戯れていた。統一地方選の最中であること、日本が直面している未解決の問題があること等を忘れ去ってしまったかのようであった。

平成を改元して令和になることが決まっても日本の主権は従前通り合衆国に無視され、日本政府は黙認している。オスプレイが緊急着陸し、滑走路が一時閉鎖されたにもかかわらず、わが国への合衆国政府からの通報も謝罪もないという。他国の迷惑などかまわずに、自国の都合や思惑だけで行動する合衆国の政治も邪気に満ちている。天皇の存続を定めた憲法制定を容認し、天皇を極東軍事裁判所の被告席に立たせることなしに戦争責任を問う裁判を終わらせてくれたツケを払わされているのだろうか。
令和に改元された暁には、日本と合衆国の政治から邪気が払われることを願って止みません。
オスプレイが緊急着陸 大阪空港、滑走路一時閉鎖
(日経 2019/4/1 17:34 (2019/4/1 19:59更新))
 1日午後1時55分ごろ、大阪(伊丹)空港に米軍の輸送機オスプレイが緊急着陸した。防衛省によると、緊急信号を出していたが、通常通り滑走路に着陸。自走して駐機場に向かった。けが人や機体の損傷はなかった。影響で滑走路が一時閉鎖され、民間旅客機の一部に遅れが生じた。
 防衛省によると、オスプレイは米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)所属で、山口県の岩国基地から神奈川県の厚木基地に向けて飛行していた。
 在沖縄米海兵隊は共同通信の取材に、緊急着陸した理由はコックピットで警告灯が点灯したためと説明した。点灯後は気象条件を考慮しながら最も安全な選択肢を選び、標準的な手順に従って着陸させたとした。
 国土交通省大阪空港事務所によると、影響で2本の滑走路のうちB滑走路が約10分間閉鎖され、民間旅客機計7機に最大約20分の遅れが生じた。
 オスプレイを巡っては、2016年12月、沖縄県名護市沖で不時着、大破したほか、各地でトラブルが相次いでいる。
 周辺自治体でつくる大阪国際空港周辺都市対策協議会(10市協)会長の藤原保幸・兵庫県伊丹市長は、地元消防から連絡を受けた市側が空港事務所などに事実関係を問い合わせたとして「過去の要望にかかわらず、速やかな情報提供がなかったことは非常に遺憾」とのコメントを出した。〔共同〕

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Franck Robichon-REUTERS

おまけです。こんなお話しも伝わってきました。政府関係者は、元号を決めるに当たり日本国内の登録商標はチェックしていたが、漢字を使う先輩国の中国の登録商標には意識が届かなかったようだ。もう少し、外に目を向ける姿勢も大切にしたいものです。
「令和」中国で昨年に商標登録
10月、アルコール類

(共同 2019/4/2 20:51)
 【北京共同】1日に発表された新元号「令和」と同じ語句が、中国で昨年10月にアルコール類の商品名として商標登録されていたことが2日、分かった。中国政府系のウェブサイトで明らかになった。
 今回の「令和」の商標登録は偶然だが、新元号の発表を受け、中国で「令和」に関する商標登録の申請が相次ぐ可能性もある。
 中国商標局が運営するサイトによると、「令和」は河北省の個人が日本酒やワイン、ウイスキーなどの商品名として2017年に商標登録を申請。昨年10月から28年10月までの商標権が認められている。
 この人物はこれ以外にも、漢字2文字の商品名を大量に登録している。


閑話休題(ソレハサテオキ)


歴史を勉強している時は、西暦だと時系列に連続しているので時間的変化が分かり易い。元号の場合は、過去の時間軸を把握するには元号を全て覚えるか、西暦や元号年表との照合が必要になる。ただそれだけのこと。外務省では、「文書は西暦と和暦が混在していたため、読み替えが煩雑で間違う恐れもあった」そうだ。
和暦やめ西暦の原則使用、外務省が検討 読み替え煩雑で
(朝日 2019年4月1日20時29分)
 外務省が元号を使った和暦の使用を原則的にやめ、西暦を使う方向で検討していることが1日、わかった。これまで外交交渉で西暦を使用する一方、省内の文書は西暦と和暦が混在していたため、読み替えが煩雑で間違う恐れもあった。外務省幹部は取材に対し、「(省内の文書を含めて)基本は西暦を使うように変えていく」と明言した。
 外務省関係者によると、西暦表記を原則とする手続きや時期について現在、検討を進めている。会計年度や閣議の資料などの表記には例外的に元号を使わざるを得ないとみられるが、外務省関係者は「わかりやすさを重視していく」と話した。
 河野太郎外相は3月29日の記者会見で、「2019年が元年になると、計算をどうするのか。西暦と元号の間の行ったり来たりというときに間違いがないように、しっかり対応していきたい」と述べていた。(清宮涼)

外務省「元号不使用」が波紋=官邸不快感、河野氏沈静化図る
(時事 2019年04月02日18時13分)
 外務省が省内の公式文書で元号表記を取りやめ、西暦に原則として統一する方向で検討に入ったことが波紋を広げた。新元号「令和」決定の直後、安倍政権が新時代の幕開けを盛り上げていこうというタイミングに冷や水を浴びせたとの見方も出ている。河野太郎外相は2日の記者会見で「特に何か大きくルール変更をするわけではない」と沈静化を図った。
 各省庁は通例、外国との交渉の際は西暦を使用する一方、内部文書は西暦と和暦が混ざる。混乱や間違いにつながる恐れがあるため、外務省幹部は1日、今回の改元を機に予算や閣議に関連する文書を除き、西暦表記を原則とする方針を示した。
 これに対し、首相官邸幹部は2日、「そんなことはあり得ない」と不快感を表明。自民党の萩生田光一幹事長代行も会見で「国内の行政文書は元号も大切にする役所であってほしい」と苦言を呈した。
 現在、公文書に元号使用を義務付ける法令はなく、西暦併記の基準もない。河野外相は2日の会見で「外務省は外国とのやりとりが多く、その時に和暦を使うことは現実的に考えられない。西暦を使ったものをわざわざ和暦にする、あるいは和暦を併記する必要はない」と指摘。目的は元号の排除ではなく、業務の効率化だと釈明した。

ところで、外務省のサイト、戦前期「外務省記録」を見て、チト驚いた。先の大戦後の占領以降、合衆国による記録の接収と押収によって、消失している記録があるようだ。未だ記録類の日本国への返還を請求・実現していないのだろう。しかしながら、このような方法でその事実を私たちに知らしめることは大切です。
2 外務省記録の保存と消失
(1)外務省記録の保存
 外務省では前述のように記録の重要性を認めると同時に、これら記録の保存に細心の注意を払ってきました。すなわち、大正期に建設した防火・防災設備を完備した鉄筋コンクリート4階建の書庫によって、関東大震災の折にも、外務省記録はほとんど消失することはありませんでした。また、戦時中は膨大な記録を埼玉県、神奈川県の数箇所の倉庫に疎開させることなどによって、空襲等の戦禍を免れることに努めました。

(2)外務省記録の消失
 このような記録保存の努力にもかかわらず、外務省記録は過去数回消失の被害を受けています。1942年(昭和17年)1月の外務省の火災、1945年(昭和20年)5月から8月の空襲等では、書庫内の記録には被害はありませんでしたが、執務用として各局課に貸出中であった貴重な記録が多く消失しました。
 また、戦後は1946年(昭和21年)2月ワシントン・ドキュメント・センター(W.D.C)による記録の接収、および極東軍事裁判に際しての記録の押収等によって、貴重な記録が消失してしまいました。なお、このようにして消失した記録の主なものには、2門の条約改正関係、A門の対中国関係、B門の通商条約関係の記録等があります。

(3)「松本記録」による消失記録の補填
 上記のような消失記録を補填しうる史料として挙げられるのが「松本記録」です。
 「松本記録」とは、故松本忠雄元衆議院議員が、外務参与官および外務政務次官在任中(昭和8年12月より14年1月)に、政治、外交、条約関係等の重要文書を筆写し、所蔵していたもので、戦後、遺族より外務省に寄贈されました。
 この記録類は筆写文書であるため、本来の「記録文書」とは異なる性質のものですが、前述の戦災等で消失した重要な記録文書を補填する上で貴重なものであることから、記録分類法に倣って分類番号を付し、「松本記録」として本来の記録とは区別して整理しました。


さあ、大きな笑顔で、邪氣を払って、今月も陽氣に参りましょう。