朝陽_20190429_050801
Asahigaoka@AM050429, 29th Apr. 2019.

江戸時代までの日本人と明治維新以降の日本人とを能力面で比べると、その低下が著しく加えて精神面での堕落というおまけまでついたのではないか、ととある場で話題となりました。そこで提示した内容に加筆して開陳しようと思います。お楽しみいただけると幸いです。
江戸時代初期100年間ほどは藩立学校はなく家塾で学んでいました。1690年代頃から農村や漁村へも広がりを見せ始めたのが「寺子屋」です。庶民道徳が求められた時代にあって、庶民が教養を積むにあたり、家庭生活や社会生活のなかでの教育のほか、奉公生活の中での教育も重要とされましたが、寺子屋は庶民の子供の教育機関として次第に大きな役割を果たすようになり、発達していきました。そこで、子らは幼いころから読み・書き・そろばんを中心として、実用的、初歩的な教育を受け、教師を手習師匠(師匠)、生徒を寺子といったようです。

武士の世界では、家庭内教育を終えて藩校に上がると多くの書物や実技を通じて、倫理や哲学、医学、薬学、天文学、本草学、礼方、兵学、剣術、槍術、柔術、楽などまで多岐にわたる選択肢から各家代々の伝承も加味した高等教育システムができていました。藩校は元禄時代から増加し、江戸中期以降急速に発達し、各藩で互いに切磋琢磨していたようです。良く知られた藩校には、名古屋藩の明倫堂(1749〜1871)、白虎隊や戊辰戦争で活躍する人材を多く輩出した会津藩の日新館(1803〜1868年の戊辰戦争により焼失)、岡山藩の花畠教揚(はなばたけきょうじょう:1641〜1669年に岡山藩藩学となり1871年廃止)、米沢の興譲館(1776〜1872年廃止)、佐賀の弘道館(1781〜1872年廃止)、和歌山の学習館(1713〜1870年頃まで)、萩の明倫館(1718〜1870年廃止)、仙台の養賢堂(1736〜1872年廃止)、熊本の時習館(1755〜1870年廃止)、鹿児島の造士館(1773〜1877年西南戦争まで)、金沢の明倫堂(1792〜1870)などがあります。創立の時代は最近ですが、注目すべきものには徳川光圀が編纂を始めた「大日本史」の影響を受けた水戸学の舞台ともなった水戸の弘道館(1841〜1868年の弘道館戦争で焼失し1872年閉鎖)などがありました。それ以降の日本人の能力低下は、推して知るべしです。

鎖国の日本を開国へと導いた黒船のマシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew Calbraith Perry, 1794年4月〜1858年3月)はフリーメーソンでした。そして、幕府の関係者は彼を「ペルリ」と呼び、漢字で「彼理」と表記したのでした。これは「彼の理(ことわり)」=「メイソンの目的」を知っていたことを匂わせ、「彼を断(ことわり)」たいという意味が含まれていたと読むことができます。

白村江の敗北以来の日本の行動原理は、原則的に鎖国といえそうです。学ぶべき何かがある間は交流はしますが、時を経て相手の王朝(Dynasty)が崩壊するときに何が起きるかを見極めて、王朝が交代する過程での流血の歴史に日本の民衆を巻き込むのを阻止しようというマネジメントの意識はあったと思います。それを打ち破ったのがペリーの黒船で、圧倒的な軍事力と戦闘教義(battle doctrine)と組織体系そして法体系を備えた近代システムとしての帝国主義を学ぶ必要を知って、明治日本が誕生したと観ることも出来そうです。その下準備は、江戸幕府の官僚機構の中で、シッカリとできていました。

わが国・日本(にっぽん)は歴史上、二回の敗戦をしています。白村江(663年10月)と先の大東亜戦争(1937年7月〜1945年9月)です。そして、1945年の敗戦から、74年目の今年、日本が日本でなくなる危機を回避すべく、『日本武尊(ヤマトタケル)』の神格の覚醒が必要だと感じています。

日本武尊の最期は、故郷大和の地への帰還を目前にした無念の死でした。死後、白鳥となって飛び去りますが、日本各地にはその白鳥が舞い降りてきたという伝承が散見されます。例えば、和泉国(大阪府堺市)の鳳神社(大鳥神社)などが好例。この地は古くから白鳥の飛来する地形的な特徴を備え持っていました。低湿地帯で肥沃な場で稲作に適していたので水田耕作地として開墾され、弥生時代の稲作の中心となります。大鳥神社の祭神には日本武尊とともに天照大神(五穀豊穣の守護神)が祀られていますが、これは日本武尊の穀靈(こくれい)的神格を私たちに知らしてきました。なお穀靈とは、稲の靈のことで稲魂(いなだま)とも呼ばれます。稲の中に稲魂が入って初めて稲が育ち、稲魂の成長に伴って稲が実ると考えたのでした。ですから「稲光」や「稲妻」という言葉は、天空の靈が稲と結婚し稲の中に子種を宿すという考え方に基づいた表現です。秋の収穫から春の播種までの期間は稲魂が静かに増殖する期間。そのため種籾(たねもみ・スジ)を靈的なものとして、俵のままで祀る行事があります。加えて、日本の稲作の起源について日本各地に残る伝承には、大鳥が稲穂をくわえて飛んできたというストーリが多く、その鳥は鶴または白鳥です。雄々しい武神の姿の背後に、白鳥となった日本武尊の靈魂が稲穂をくわえて飛翔する母性を感じさせる姿が見えてくるではありませんか。知っていただきたいことは、タケル(武・建・尊・威・炊けるetc.)という言葉がなぜ使われているのかということ。今、私たちの日本の民衆に求められているお役目は、戦うのみではなく、ご飯が「炊ける」母のエネルギーの発露だと分かるはずです。

明後日から令和が始まり、悠仁親王(2006年9月生)の皇位継承順位は第2位となります。最年少皇族でもある彼に降りかかった事件は不吉です。26日の午前中、お茶の水女子大付属中学校の彼の机に刃物が。それは果物ナイフで、長さ約60センチのアルミ製の棒の片端に2本並べた状態で粘着テープで固定されていた。親王は戦後の皇族で初めて学習院初等科ではなく、お茶の水女子大付属小に入学し、4月に内部進学なさった。同校にはこの入学を批判する内容の電話が数件あったそうですが、気にしない、気にしない。

もっと、もっと愛を込めて大切に彼と私たちの心身を護って参りましょう。傷ついたであろう彼と私たち日本の民衆に、静かに思い遣りをかけましょう。愛が社会空間に意識の扉を開き、私たちの目覚めを誘うはずです。だから大丈夫。


部屋の草木のエネルギーが高くなっているのを感じます。大きな笑顔で参りましょう。

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