今朝は、正倉院のサイト(https://shosoin.kunaicho.go.jp/treasures/?id=0000012162&index=0)に天下第一の名香と謳われる「黄熟香(おうじゅくこう)」を見つけ、見入っております。ベトナム産のジンチョウゲ科の樹木に樹脂や精油が付着したもので、鎌倉時代以前に入ってきたそうです。解説文には、『巨大な沈香。産地はベトナムからラオスにかけての山岳部とされる。雅名である「蘭奢待(らんじゃたい)」には、「東」「大」「寺」の三文字が隠れている。名香として珍重され、足利義政や織田信長、明治天皇などが切り取らせた』とあります。下記写真のしるしのうち、左部分が明治天皇、右手前の二つのうち右が足利義政で左が織田信長が削った部分(その一片は名医・曲直瀬道三(1507年10月〜1594年2月)に下賜されたそうです)。他にも削ったとおぼしき箇所があります。削ったと噂される人物はいるようですが、正式に記録されているのはこの御三方の3ヶ所のみ。『当代記』によると、徳川家康は慶長7(1602)年6月10日、東大寺に奉行の本多正純と大久保長安を派遣して正倉院宝庫の調査を実施し、蘭奢待の現物を確認。しかしながら、彼は切り取ると不幸があるという口伝に従い、切り取らせることはありませんでした。『異国近年御書草案』によると、江戸城本丸が完成した慶長11(1606)年頃から家康が行った東南アジアへの朱印船貿易の目的は伽羅(キャラ)を手にすることで、極上とされた伽羅の買い付けを最優先としました。彼が集めた香木・香道具は2600点に及び、世界でも屈指の香木コレクションです。彼は香氣(香道)により氣持をリラックスさせていたようです。自分が死んだら徳川家はなくなる。だから1日でも長生きしたいと肝に銘じていた家康は、決して無理をしませんでした。一度自分に弓を引いた家臣でも許すだけの寛容さがありました。結果、多くの有能な家臣たちが徳川家を支えてくれ、後の天下取りへとつながっていきます。寛容だからこそ生き残れたのだと思います。

香りは「嗅ぐ」ものですが、香道では無粋な表現とされ香りを「聞く」と表現します。 香道に使用される香木を「沈水香木(沈香・じんこう)」と呼びます。沈香の姿を愛でた後に火をともし立ち上る煙の柔らかな香りを聞く「聞香(もんこう)」と、香りの違いを聞き分ける香遊びの「組香(くみこう)」とを楽しみます。魂が宿る香木を自然の一端としてリスペクトし、聞香を通じて大いなる自然と対話する教養は大切なものです。

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用途 : 薬物
技法 : 木竹工
倉番 : 中倉 135
寸法 : 長156.0 重11.6kg
材質・技法 : 散孔材の香木


閑話休題(それはさておき)


知人から『「アフターコロナ」はどうなる? 31人の論客が語った金言名句を一挙公開』は良い記事だからと勧められたので読み進めてみました。読後に何かしら違和感があったのですが、それは「31人の論客」が全員男性であったことです。多分タイトルのつけ違いで、「31人の男性論客が語った金言名句を一挙公開」ということだと思います。ですから、次回は「31人の女性論客が語った金言名句を一挙公開」が登場するということでしょうか。それにしても、大相撲でもあるまいし、ジェンダーフリーでもよかったと思います。「ジェンダーギャップ指数2019」の記事を以下に添付します。ご覧いただけると幸いです。



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