この26日(水)の深夜1時ころであったでしょうか、以前目にしていた日経ビジネスの掲載記事『台湾民主化の父・李登輝氏の遺言「大切なことは武士道にある」』(武田安恵 2020年7月31日)を読み、先月97歳で他界なさった李登輝氏が慧眼(えげん)の士であると改めて知らされました。慧眼とは、声聞乗(しょうもんじょう)と縁覚乗(えんがくじょう)の二乗(にじょう)の人がもつ、一切の事物を空であると見通す智慧(ちえ)の目です。
p1

影響を受けた『武士道』と『衣装哲学』
  最近の若い人は、何でも白黒はっきりさせたがります。これは日本でも台湾でも同じです。でも日本はずっと、舶来物の文化が大陸から流れ込んできた中で、一度としてそれに飲み込まれたことはないはずです。日本独自の文化を立派に築き上げてきました。
  日本は古来、外来の文化を巧みに取り入れ、自らにとってより便利で都合のいいものにつくり替える力がある。
  このような新しい文化の創り方というのは、一国の成長や発展という未来の道にとって、非常に大切なものだと思っています。今の日本人は、それを忘れてしまっているのではないでしょうか。
  私がそう思ったきっかけは、新渡戸稲造の『武士道』にあります。これを初めて読んだのは旧制台北高等学校時代のことです。
  武士道などというと、とにかく封建時代の亡霊のように言う人が多いですが、この本を真剣に精読すれば、そのような受け止め方が、いかにうわべだけの浅はかなものなのかすぐに分かるでしょう。
  武士道はかつての日本の道徳体系でした。封建時代には、武士が守るべきこととして教えられたものです。しかしそれは決して明文化、成文化されたものではなく、口伝えで脈々と受け継がれたものでした。書かれたものがあったとしても、それは数人の武士、もしくは数人の学者の筆によって伝えられた、わずかな格言だけでした。つまり武士道とは「書かれざる掟(おきて)」だった。
  不言不文だっただけに、実行することによって、一層強い効力が認められました。武士道に書かれている公の心、秩序、名誉、勇気、潔さ、躬行(きょうこう。自ら行うこと)といった考え方は、すべて概念や知識ではなく、行動や実践によって表面化し、初めて意味をなすものだった。昔の日本人の心の中には武士道があったからこそ、日本はどの国にも影響されず発展することができた。『武士道』を読んで私はその思いを強くしました。
  そのほかに影響を受けた本がトーマス・カーライルの『衣装哲学』です。私の最も好きな本の1つです。
  初めて読んだのは高校1年生のときで、教科書に載っていましたが、ドイツ語のような英語が難しくて分かりませんでした。
  内容は、これを詳しくかみ砕いて講演した新渡戸稲造の本を読んで理解しました。台北市の市長になったとき、学者の道に決別し、政治に専念しようと台湾大学に自分が持っていた本を寄贈したのですが、『衣装哲学』だけは手元に残しましたね。
  「衣装」というのは、宇宙のあらゆる象徴、形式、制度は所詮一時的な衣装、つまり衣服にすぎず、動かぬ本質はその中に隠れている、というところからつけられたものです。
  3巻からなる大著だけど、エッセンスは第2巻の第7章から第9章の間にあります。
  
 「確信はいくら立派なものでも、行為に移されるまでは何の役にも立たない」

 「確信はそれまではあり得ない。なぜならば、すべての思弁は本来果てしなく、形が定まらず、渦巻きにすぎないからである」

  深遠なる哲学も、最後は形として行為に移されて初めて意味を持つということです。新渡戸稲造の『武士道』の精神に極めて似た部分があると言ってもいいでしょう。この本は、総統に就任した後も、大きな支えとなって思い出しては読み返していました。

p2

『武士道』には親しんでおりましたが、『衣装哲学』は読んだ記憶がありません。書棚にもありませんでした。今すぐに紐解きたい気持ちになり、青空文庫に求めましたが叶いませんでした。それで電子書籍の購入を試み、日本語訳は見当たらず、英語版の『Sartor Resartus』を紐解くことができました。めでたし、めでたし。

ところで、新渡戸博士は随分とカーライル氏の著作の影響を受けた方のようで、「教育の目的」と題したエッセーで以下の如くサラリと引用しています。この真摯で教養ある教育論は一読に値します。このエッセー全体を読み、博士のウイットに笑みが零れました。
(前略)第二例は、英吉利のシエレーと云ふ婦人の著はした、『フランケンスタイン』と云ふ小説にある話だ。其大體の趣意を一言に撮めば、或醫學生が墓場へ行つて、骨や肉を拾ひ集め、又た解剖室から血液を取り來り、此等を組合せて一個の人間を造つた。併しそれでは只だ死骸同然で動かない。それに電氣を仕掛けたら動き出した。固より腦膸も入れたのであるから、人間としての思想がある。こちらから談話を仕掛けると、哲學の話でも學術の話でもする。されど只だ一つ困つたことには、電氣で働くものに過ぎぬので、人間に最も大切なる情愛と云ふものがない、所謂人情が無い。それが爲に其の人間は甚だしく之が欠乏を感じ、『お前が私を拵へたのは宜い、併し是ほどの巧妙な腦膸を與へ、是ほど完全なる身體を造つたにも拘はらず、何故肝腎の人情を入れて呉れなかつた』と云つて、大いに怨言を放ち、其の醫學生に憑り付くと云ふ隨分ゾツトする小説である。此の寓意小説は只だ理窟ばかりを詰込んで、少しも人間の柔かい所の無い、温い情の無い、少しも人格の養成などをし無い所の教育法を責めるものである。彼のカーライルは、『學者は論理學を刻み出す器械だ』と罵つたが、實に其通りである。たゞ論理ばかりを吹込んで、人間として最も重んずる所の、温い情と、高き人格とを養成しなかつたならば、如何にも論理學を刻み出す器械に相違ない。さう云ふ教育法を施すと、教育された人が成長の後に、何故おれ見たやうな者を造つたかと、教師に向つて小言を云ひ、先生を先生とも思はぬやうになり、延いては社會を敵視するに至る。故にかゝる教育法は、即ち先生を敵と思へと教ふるに等しいものである。
(中略)
  今日我國に於て、育英の任に當る教育家は、果して如何なる人間を造らんとして居るか。予は教育の目的を五目に分けたけれども、人間を造る大體の方法としては、今云ふた三種の内の孰れかを取らねばならぬ。彼等は第一の左甚五郎の如く、たゞ唯々諾々として己れを造つた人間に弄ばれ、其人の娯樂の爲に動くやうな人間を造るのであらうか。或は第二の『フランケンスタイン』の如く、たゞ理窟ばかりを知つた、利己主義の我利々々亡者で、親爺の手にも、先生の手にも合はぬやうなものを造り、却つて自分が其者より恨まれる如き人間を養成するのであらうか。將た又た第三のフアウストの如く、自分よりも一層優れて、且つ高尚なる人物を造り、世人よりも尊敬を拂はれ、又た之を造つた人自身が敬服するやうな人間を造るのであらうか。此の三者中孰れを選ぶべきかは、敢て討究を要すまい。而して此等の點に深く思慮を錬つたならば、教育の目的、學問の目的はどれまで進んで行くべきか、我々は其目的を何所まで進ませねばならぬかと云ふことも自から明瞭になるであらうと思ふ。
(明治四十年八月刊『隨想録』所收)


閑話休題(それはさておき)


prm2001070007-p1
伊勢神宮外宮の参拝に向かう安倍晋三首相=2020年1月6日、三重県伊勢市@産経新聞

このインタビューがなされた2015年当時、李登輝氏は安倍晋三氏を高く評価していました。安倍晋太郎氏との関係もあって、その息子を見守ってきたというところでしょうか。昨日28日(金)午後、安倍氏は「様々な政策が実現途上にあり、コロナ禍の中、職を辞することについて、国民の皆様に、心より、心より、お詫び申し上げる」と官邸で行われた会見で正式に辞意を表明。そして、次の総理大臣が任命されるまでの間は、彼が引き続き職務にあたる考えを示しました。
  台湾のメディアは敵対する勢力に握られていましたから、何をやっても、テレビも新聞も私を批判してばかりです。妻は「何でこんな目に遭わなければならないの」とよく泣いていました。私も眠れない日が続いていました。
  総統時代の私を支えたのは、クリスチャンとしての信仰と、『武士道』そして『衣装哲学』の思想でした。
  この2冊の本に共通するエッセンスは、「実践しなければいくら考えても意味がない」こと。人生も政治も、あれこれ思いを巡らすことより、何をやったかが重要なのです。
  何を具体的に実践したか、その実践が結果としてうまくいったか否かで歴史的評価が決まるのです。私利私欲にとらわれ、小田原評定のように議論に明け暮れるだけで実践できないでいると、いつまでたっても台湾は中国の束縛から抜けられない。そう思いました。
  総統就任中、『衣装哲学』の中で支えとなったフレーズがもう1つあります。

 「立て、立て、何でもおまえのできることを、全力をもってなせ。今日といわれる間に働け。夜が来れば誰も働くことはできない」

  「今日といわれる間」は現在生きている間という意味で、「夜」とは死んでしまった後を意味します。今ある現実の中に我々の理想を発見する。天国を、我々の社会の現実に見いだす。これがとても大切なことです。
  1990年代、私の政治はプラグマティズム(実用主義)だとよくいわれましたが、それは『武士道』と『衣装哲学』の影響が強く働いたことであることは言うまでもありません。
  若き日の私はこれによって救われ、人生に生きがいを見いだし、何度も何度も思い返しながら台湾のために働いたのです。
  私は安倍晋三首相のリーダーシップを高く評価しています。なぜか。有言実行だからです。それまでの首相はいろいろ口では言うけれど、大したことをしてきませんでした。しかし安倍さんは違う。口にしたことを大体やっています。政治家のあるべき姿とは、こうでなくちゃならないと思います。
  今、日本では憲法問題が盛んに議論されていますが、安倍さんは国民に時間をかけて説明し、議論していくべきだと思います。問題を放置したり、無関心でいたりすることが、最も日本という国の安全を脅かす。外から見ていて、そう感じます。
  日本がアジアの中で自立し発展していくことが、東アジアの一層の安定と平和につながります。日本が真の自立した国家として歩むことを、心より願ってやみません。

今週月曜日24日14時0分に Record China社が『安倍首相の連続在任日数が歴代最長に、「感服する」「大したもの」中国ネットでは肯定的な評価も』と題する記事を掲載。この記事がmemorial serviceであると喝破して、安倍氏の辞意表明が時間の問題と判断した方は多かった思います。先週の金曜日21日にするはずのものが、1週間ずれ込んでしまったようです。

大きな笑顔の8月終わりの週末をお過ごしください。

(追記)
この方には、「人間に最も大切なる情愛と云ふものがあり、所謂人情がある」ようです。素的ですね。
山本太郎氏、辞意の安倍首相に「一日も早くご快方」
(日刊スポーツ 2020年8月29日1時41分)
202008290000035-w1300_0  れいわ新選組の山本太郎代表は28日、安倍晋三首相が辞任を表明したことを受けてコメントを発表した。山本氏は国会論戦で、何度も首相と対決した。
   ◇   ◇   ◇
  本日安倍総理がご自身の持病の再発を理由として辞意を表明されました。
  一日も早くご快方に向かわれることをお祈りいたします。
  一方、この国において、
  20年以上におよぶデフレによる貧困化、国家の衰退に加え、コロナウイルスの影響で更なる経済的打撃を受け、多くの人々が不安の中にあります。
  この先の被害を最小限に留めるには、大胆な財政出動以外にありません。
  一刻も早い国会の開会と、徹底した給付(損失補填含む)と税や社会保険料の徴収の免除を行うよう強く求めて参ります。

a95819bc-s