あれは31年前の2月のことでした。ピーター・クウォン教授の勧めでNY州立大学の卒論のテーマを「日系アメリカ人の強制収容と今日の課題」とし、強制収容された方々3人をご紹介いただきました。ジミー・コウノ氏はそのおひとりです。今回のホワイトハウスの「謝罪」を知り、彼の言葉を再び思い出しました。
閑話休題(ソレハサテオキ)
カリフォルニア州のシエラネバダ山脈の麓の町・マンザナー。1942年〜45年の大東亜戦争中、合衆国に暮らしていた約11,000人の日系米国人が3年間に渡り強制収容された場です。厳冬そして猛暑の地です。
1942年2月19日にルーズベルト合衆国大統領が太平洋沿岸を軍事地域に指定し行政命令第9066号に署名したことにより、この地域に住むすべての日系人に強制立ち退きを命じる権限が陸軍当局に与えられました。日本人移民と合衆国市民である日系2世・3世(日本人の血が4分の1以上の者)を、戦争遂行を成功させるために強制収容するように命令したのです。
昨年2月、行政命令第9066号により、カリフォルニア州は約120,000人の日系米国人を法的決議も無いまま強制収容した過ちを認め、公式に謝罪しました。連邦政府の1988年市民の自由法(The Civil Liberties Act of 1988)による公式謝罪・賠償から32年後のことです。このカリフォルニア州の謝罪表明の背景には、トランプ政権の移民政策への抗議もあったと言われておりました。
参考:岡本智周著「在米日系人強制収容に対する補償法の変遷(アメ リカの国民概念 に関す る一考察)」@社会学評論
(本日のおまけ)
日系米国人部隊である第442連隊(442nd Regimental Combat Team)ののべ死傷率が314%である異常さも知っておきましょう。
私の家の隣には高校があるんです。でも、大統領が法律に署名しても、私はいまだにゲスト・スピーカーとして高校から呼ばれていません。子供たちに何が起こったかを伝える機会はまだ与えられていないのです。議会が作った法律に大統領が署名しただけでは十分ではありません。学校教育を通じて、子供たちに伝える必要があるのです。さあ、あなたはどうしますか!レーガン大統領は「1988年市民の自由法(The Civil Liberties Act of 1988:日系米国人補償法)」を成立させ、合衆国を代表してJapanese America(日系米国人)とその社会に謝罪したことをどう考えますかという質問への彼の返答でした。コウノ氏のポイントは、謝罪に加えて、なぜ合衆国が事件発生から約半世紀後に合衆国生まれの人間に対して謝罪と補償をせねばならないことが起こされたのかを初等教育の現場で地域住人の顔・声・経験・意見・希望を通じて、知らせ、子供たちが自らの頭と心(heart and mind)で考える契機が与えられることがこの社会には必要ですということだと受け取っています。インビューを通して「歴史資源としての民衆(people-as-historical resource)」というものが浮かんできたのを想い出します。私たちの社会や国の歴史を体験者から聴く能力は、個人にとり秀でた資質と評価され、社会にとっては政治・経済・文化の融合並びに人間関係を深めていく手段とみなされる価値あるものとなっていくに違いありません。しかしながら、日本と合衆国の学校教育の場では、これまで十分に実現されていないようです。今後、people-as-historical resourceをいかに具現化していくのかが課題です。
バイデン米大統領、戦時中の日系米国人収容を謝罪−公式声明参考: Japanese Americans for Biden-Harris
(西前明子 Bloomberg 2021年2月21日 0:23 JST)
バイデン米大統領は19日、太平洋戦争中に起きた日系米国人の市民権剝奪と強制収容を米国として改めて謝罪する公式声明を発表した。1942年に当時のルーズベルト大統領が日系人収容を可能にする大統領令9066号に署名してから、この日で79年となった。
バイデン氏は声明で、約12万人の米国市民が日系という理由だけで財産を奪われ、非人道的な強制収容所に送られたことは「米国の歴史上で最も恥ずべき時期の一つ」だと指摘。「制度的な人種差別と外国人嫌悪、移民排斥が導いた人道上の悲劇」と表現した。
その上で、不当な扱いと法的に闘ったフレッド・コレマツ氏ら人権活動家や多くの日系米国人の勇気ある行動を「希望の象徴」と称賛した。
Statement by President Joseph R. Biden, Jr. on the Day of Remembrance of Japanese American Internment
(THE WHITE HOUSE FEBRUARY 19, 2021 • STATEMENTS AND RELEASES)
Seventy-nine years ago today, President Roosevelt signed Executive Order 9066, which stripped Japanese Americans of their civil rights and led to the wrongful internment of some 120,000 Americans of Japanese descent. In one of the most shameful periods in American history, Japanese Americans were targeted and imprisoned simply because of their heritage. Families were forced to abandon their homes, communities, and businesses to live for years in inhumane concentration camps throughout the United States. These actions by the Federal government were immoral and unconstitutional — yet they were upheld by the Supreme Court in one of the gravest miscarriages of justice in the Court’s history.
America failed to live up to our founding ideals of liberty and justice for all, and today we reaffirm the Federal government’s formal apology to Japanese Americans for the suffering inflicted by these policies. The internment of Japanese Americans also serves as a stark reminder of the tragic human consequences of systemic racism, xenophobia, and nativism. I reflect on the bravery of so many Japanese Americans who stood up against this hateful policy, including civil rights leaders like Fred Korematsu who fought against Japanese internment and were a symbol of hope. Their legacies remind us all that civil liberties must be vigorously defended and protected.
閑話休題(ソレハサテオキ)
カリフォルニア州のシエラネバダ山脈の麓の町・マンザナー。1942年〜45年の大東亜戦争中、合衆国に暮らしていた約11,000人の日系米国人が3年間に渡り強制収容された場です。厳冬そして猛暑の地です。
1942年2月19日にルーズベルト合衆国大統領が太平洋沿岸を軍事地域に指定し行政命令第9066号に署名したことにより、この地域に住むすべての日系人に強制立ち退きを命じる権限が陸軍当局に与えられました。日本人移民と合衆国市民である日系2世・3世(日本人の血が4分の1以上の者)を、戦争遂行を成功させるために強制収容するように命令したのです。
昨年2月、行政命令第9066号により、カリフォルニア州は約120,000人の日系米国人を法的決議も無いまま強制収容した過ちを認め、公式に謝罪しました。連邦政府の1988年市民の自由法(The Civil Liberties Act of 1988)による公式謝罪・賠償から32年後のことです。このカリフォルニア州の謝罪表明の背景には、トランプ政権の移民政策への抗議もあったと言われておりました。
第2次大戦中の日系人強制収容、カリフォルニア州が公式謝罪決議採択へ
(CNN 2020.02.18 Tue posted at 11:03 JST)
カリフォルニア州マンザナーの強制収容所で米国旗がひるがえる様子=1942年7月/Hulton Archive/Getty Images
(CNN) 第2次世界大戦中の1942年2月19日、当時のルーズベルト米大統領は、国家の安全を脅かすとみなした人物を指定軍事区域から立ち退かせる権限を陸軍省に与えた。
以後の4年間で10万人以上の日系人(大部分は米国籍の保有者)が自宅から強制的に退去させられ、全米の強制収容所に送られた。
それからおよそ80年。米国史上、最大規模の強制立ち退きにかかわったカリフォルニア州が、日系米国人に公式謝罪することになった。
謝罪の決議案は、カリフォルニア州議会で今週中に採択される見通し。「第2次世界大戦中に日系米国人の不当な排除、立ち退き、強制収容」を支持したこと、さらには「日系米国人の公民権と市民の自由を守ることができなかった」ことについて謝罪するとしている。
さらに、「過去の過ちから学び、そうした自由に対する攻撃が、米国のどのコミュニティーに対しても二度と起きないようにすることが、これまで以上に重要性を増している」とした。
アーカンソー州ジェロームの強制収容所で撮影された日系人の写真=1944年7月18日 /War Relocation Authority/Japanese American National Museum
決議案を提出したカリフォルニア州のアルバート・ムラツチ州議会議員(民主党)は、議員就任以来毎年、2月19日を日系人強制収容所の被害者追悼の日とするよう求める法案を提出してきた。
しかし今回は、追悼以上の行動に出る必要があると訴える。ムラツチ議員は日系アメリカ人市民同盟の機関誌「パシフィック・シチズン」にこう語っている。
「我が国の首都が党派に沿った絶望的な分断状態にあり、トランプ大統領が移民の家族や子どもたちをおりに入れている。こうした中で、カリフォルニア州議会は、日本人の祖先をもつ忠実な米国人12万人あまりを有刺鉄線の向こうに強制収容するに至った自らの行動について、超党派の公式な対応を表明する」
マンザナー強制収容所の様子=1942年ごろ、カリフォルニア州/Jack Iwata/Japanese American National Museum
決議案はムラツチ議員が先月、他の数人の議員と連名で提出した。
カリフォルニア州は、第2次大戦中にルーズベルト大統領令が出される以前から、日系米国人やアジアからの移民に対して土地の購入や借地を禁じるなど、日系米国人を狙い撃ちにする州法を次々に制定していた。
日系人の強制収容については、1980年になって米議会が連邦委員会を設置し、ルーズベルト大統領令は正当化できないと断定。「人種的偏見、戦時中のヒステリー状態、政治的リーダーシップの失敗」による結果だったと判断した。
その数年後、当時のレーガン大統領は「1988年市民の自由法(日系米国人補償法)」を成立させ、米国を代表して日系人に謝罪している。
参考:岡本智周著「在米日系人強制収容に対する補償法の変遷(アメ リカの国民概念 に関す る一考察)」@社会学評論
(本日のおまけ)
日系米国人部隊である第442連隊(442nd Regimental Combat Team)ののべ死傷率が314%である異常さも知っておきましょう。
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