5月1日。小雨が降る、肌寒い札幌です。
いかがお過ごしでしょうか。
GWとはいえ、新型コロナウイルスが感染拡大していますので、外出はままなりません。
ゆったり、のんびりとすることにしましょう。

こんなサイトを見つけました。お楽しみいただけると嬉しいです。


閑話休題(それはさておき)


真珠湾攻撃の二日後の1941年12月10日はマレー半島東方沖で、大日本帝国海軍航空部隊と英国海軍洋艦隊の間で戦闘がありました。帝国海軍は英国海軍が東南アジアの制海権確保(Sea Superiority/Sea Control)の為に派遣した航行中の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパレス」を航空攻撃のみで撃沈。世界史上初のこの出来事は、作戦行動中の戦艦を航空機で沈めることはできないとの常識をブレイクスルーし、当時、世界の海軍戦略であった大艦巨砲主義(厚い装甲を持ち、大口径の砲を搭載した戦艦が海戦の帰趨を決するというもの)に影響を与え、制空権(control of the air/ air superiority)を争う流れを導きました。チャーチルは、第2次大戦で最も衝撃的な出来事であったと書きました。(注※後に、英国と合衆国の戦艦が対空火器を強化し、機動部隊を航空機攻撃から守備することに成功したので、大日本帝国海軍航空部隊が航行中の戦艦を撃沈できたのは「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパレス」が最初で最後でした。)

34年ほど前、英国で暮らしていたときに見た中学生の歴史の教科書にもこの出来事が記されていました。そこには、英国が誇るプリンス・オブ・ウェールズとレパレスが日本人の知恵によって沈められたが、その日本は同じ手法で、合衆国軍によって「戦艦大和」を沈められたこと。そして、自分で作った戦法を敵方に使われ、防御出来できなかったことが語られていました。(注※「大和」は1945年4月7日に合衆国軍艦載機約300機に攻撃され九州の坊ノ岬沖で沈没。1944年10月24日にフィリピン・シブヤン海で「武蔵」が撃沈されていますが、これは合衆国軍の多数の魚雷命中による大浸水が原因です。)

帝国海軍の攻撃で「プリンス・オブ・ウェールズ」が沈んでから間もなく、オーストラリア第453飛行隊のブリュースターバッファローが戦場に到着して上空直掩(ちょくえん)を行ったことや駆逐艦「エクスプレス」が「プリンス・オブ・ウェールズ」の乗員を救助している間、駆逐艦「エレクトラ」と駆逐艦「ヴァンパイア」が沈んだ「レパルス」の乗組員を捜索し、「エレクトラ」が571名、「ヴァンパイア」が「レパルス」の艦長と従軍記者を含む225名を救助したことは記されていませんでした。

この時、英国軍機による直掩があったこともあり、大日本帝国海軍は駆逐艦「エレクトラ」と駆逐艦「ヴァンパイア」による救助作業を見守り、「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパレス」両艦が沈んだ後、その現場に航空機により花束を投下し、英国海軍水兵たちの戦いに敬意を表しました。日英両国の初等中等教育の教科書に“treat one's opponent with respect”(敵に敬意を払う)という武士道・騎士道(Bushido / Chivalry)の精神が掲載されたら良いと思います。

2002年、水線下68m(223フィート)の沈没したプリンス・オブ・ウェールズからベルが取り外されました。そして、現在はリバプールの博物館(Merseyside Maritime Museum)に展示されています。https://www.liverpoolmuseums.org.uk/stories/maritime-tales-liverpools-prince
prince_wales_bell_1


「プリンス・オブ・ウェールズ」は、1941年10月25日にチャーチル首相の強い要請で、今後予想される大日本帝国軍南下の抑止力としてインド洋へ派遣されました。約80年の時を経て、英国は再び最新鋭空母「クイーン・エリザベス(HMS Queen Elizabeth)」を同じくインド洋へ派遣します。嫌な感じがします。

UK to send carrier strike group to Indo-Pacific
(NHK World Tuesday, April 27, 6:43)
20210427_06_973181_L
 Britain's government will send an aircraft carrier strike group led by the Royal Navy's new flagship, HMS Queen Elizabeth, to the Indo-Pacific region.
 Defense Secretary Ben Wallace explained the deployment plan at Parliament on Monday.
 Under the plan, the carrier strike group will embark in May on a seven-month voyage from the Mediterranean to the Indian Ocean and the Pacific.
 It will visit more than 40 countries, including port calls in Japan, India, South Korea and Singapore.
 Wallace said the deployment will tighten political ties in the region.
 He also touched on China, which he said is increasingly assertive. But he added that the strike group is not going to the other side of the world to be provocative.
 The Assistant Chief of the Naval Staff, Rear Admiral Iain Lower, told NHK that Japan and Britain are like-minded, open and maritime trading nations. He said the strike group will not only visit Japan, but will also participate in joint exercises.
 Last month, Britain released a new policy on diplomacy and security, which called for increasing focus on the Indo-Pacific region.
 The latest deployment is seen as an attempt to beef up Britain's involvement in the region, amid growing tension between the United States and China.
英空母「クイーン・エリザベス」年内に日本寄港
(日経 2021年4月26日 21:00)
【ロンドン=中島裕介】英国防省は26日、最新鋭空母「クイーン・エリザベス」を中核とする空母打撃群をインド太平洋地域に派遣する際、日本に寄港すると発表した。同空母の日本への寄港は初めてで、2021年の後半になる見通し。派遣にあわせて自衛隊との共同演習も実施する。
  空母打撃群は5月に英国を出発する。12月までに地中海やインド洋、太平洋を航行する。日本以外にはシンガポールやインド、韓国に寄港する。米国の艦船やオランダのフリゲート艦も艦隊に加わる。
  派遣には海洋進出など覇権主義を強める中国をけん制する狙いがある。ウォレス国防相は26日の声明で「派遣はインド太平洋地域や国際秩序への脅威に立ち向かう我々の意思を示すものだ」と語った。
  日本の自衛隊のほか、オーストラリアやフランス、ニュージーランドなどの海軍や空軍と演習を予定する。空母打撃群は最新鋭ステルス戦闘機F35Bなどを配備している。駆逐艦やタンカーが随伴する。
  英国は3月に公表した外交・安全保障の基本方針「統合レビュー」で、インド太平洋地域への関与の強化を打ち出した。英国は空母打撃群の派遣で同地域の安全保障に貢献する姿勢を示して信頼を高め、経済関係の強化にもつなげる方針だ。
英 最新鋭空母をインド太平洋地域派遣へ「日本と共同演習も」
(NHK 2021年4月27日 19時12分)
  イギリス政府は最新鋭の空母「クイーン・エリザベス」を中心とする空母打撃群をインド太平洋地域に派遣し、日本、インド、韓国などに寄港すると発表しました。中国の急速な台頭で米中の対立が深まるなか、イギリスとしてもこの地域への関与を強めるねらいがあるとみられます。
K10012999361_2104270640_2104270645_01_04
  イギリスのウォレス国防相は26日、議会で最新鋭の空母「クイーン・エリザベス」を中心とする空母打撃群を各国に派遣する計画について説明しました。
  それによりますと、部隊は5月からおよそ7か月をかけて地中海からインド洋、太平洋へと航海して40か国以上を訪問し、インド太平洋地域では日本、インド、韓国、シンガポールなどに寄港する計画だということです。
  ウォレス国防相は日本などへの寄港について「政治的な結び付きを強めることにもつながる」とする一方、中国に関しては「みずからの主張を強めているが、今回の派遣は中国に対抗するものではない」と述べました。
  イギリスは3月公表した外交・安全保障の新たな方針でインド太平洋地域を重視する姿勢を示していて、空母の派遣には中国の急速な台頭で米中の対立が深まるなか、イギリスとしてもこの地域への関与を強めるねらいがあるとみられます。

イギリス海軍高官「インド太平洋地域 地政学的な重要性を増す」
K10012999361_2104270640_2104270645_01_05
  イギリス海軍のイアン・ロウアー参謀長補佐はNHKのインタビューに対し「インド太平洋地域は地政学的な重要性を増していて、この地域には日本のような強力なパートナーもいる。クイーン・エリザベスの初めての派遣として自然な選択だ」と述べました。
  そして「イギリスと日本は志を同じくする開かれた海洋貿易国だ。単に日本を訪問するだけでなく共同演習も行う」として、自衛隊と共同演習を実施し日本との安全保障上の連携を強化したいという考えを示しました。
  また、中国をめぐっては「今回の空母の派遣は対立をあおるものではない。国際法にのっとったもので国益にかなうものだ」と述べました。
  クイーン・エリザベスを中心とする空母打撃群の要員は3000人を超えるということで、派遣にあたってはワクチンの接種や感染防止のためのマスクの着用、定期的な検査の実施など感染対策を徹底するとしています。

中国外務省「情勢を複雑化させるな」
  イギリス政府が最新鋭の空母を中心とする空母打撃群をインド太平洋地域に派遣し、日本、インド、韓国などに寄港すると発表したことについて、中国外務省の汪文斌報道官は27日の記者会見で「関連する報道を注視している。中国は域外の国に対し、この地域の国々が平和と安定を守り、発展と協力を促進しようとする願いを尊重するとともに、情勢を複雑化させる動きをしないよう望む」と述べました。

その昔の「日英同盟」(Anglo-Japanese Alliance:1902年)が英国側からのプロポジションであった背景としては、英国は南アフリカを侵略し て、ボーア戦争(Boer Wars:1880年12月〜1881年3月;1900年1月〜同年9月;1900年9月〜1902年5月)をやり、ゲリラ戦に巻き込まれて、非常に苦労したということがありました。ですから、極東でのロシアの膨張政策に対して、自力でそれを阻止する余裕がありませんでした。そこで、何とかして日本を味方にする必要がありました。しかしながら、英国は老檜ですから、日本と対等な同盟を結ぼうとはしませんでした。日本とロシアが戦争をした時には、中立の立場をとると決めました。もし、フランスがロシアの側についた時には、日本の味方をして参戦するというものです。ですから、危機は中国大陸で、狙いはロシアでした。これを当時の日本の民衆は、世界を支配する大英帝国と肩を並べて列強(powers)の仲間りを果たしたと早とちりしてしまったようです。

(追記)
英空母で100人コロナ感染 海自と訓練、日本にも寄港予定
(時事 2021年07月14日21時00分)
 【ロンドン時事】英公共放送BBCは14日、最新鋭空母「クイーン・エリザベス」で乗組員約100人が新型コロナウイルスに感染したと報じた。クイーン・エリザベスは11、12両日、ソマリア沖アデン湾で日本の海上自衛隊と共同訓練を行ったばかり。今年後半には日本にも寄港を予定している。
 クイーン・エリザベスを中心とする空母打撃群には約3700人が乗艦。英政府は乗組員全員がワクチンを接種したと発表していた。
 報道によると、感染拡大は定期検査の一環で発覚。艦内ではマスク着用や社会的距離の確保などの対策が取られている。今後の作戦に支障はないという。

(追記)
チャーチルのインド人嫌悪、歴史的飢饉の原因に 印新刊が告発
(AFP 2010年9月11日 14:25 発信地:ニューデリー/インド)
【9月11日 AFP】第2次世界大戦中の英首相ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)が、インド人に対する人種的嫌悪感から、飢饉にあえぐインドへの援助を拒み、数百万人を餓死に追いやったと主張する本が出版された。
 第2次大戦中、日本軍がインドへのコメの主要輸出国だった隣国ビルマを占領した後も、英国人が支配する植民地総督府は、兵士や軍需労働者にしか備蓄食糧を開放しなかった。パニック買いでコメ価格は高騰。また日本軍が侵入した場合に植民地内の輸送船や牛車が敵の手に渡ることを恐れた総督府は、これらを押収したり破壊したりしたため、流通網も破壊された。
 こうして1943年、「人為的」に起きたベンガル飢饉では300万人が餓死し、英植民地インドにおける暗黒の歴史となっている。インド人作家マドゥシュリー・ムカージー(Madhusree Mukerjee)氏(49)は最新刊『Churchill's Secret War』(チャーチルの秘密の戦争)で、この大飢饉の直接的な責任はチャーチルにあることを示す新たな証拠を暴いたと語る。

■度重なる支援要請を拒否
 第2次大戦の英政府の閣議記録や埋もれていた官庁記録、個人的なアーカイブなどを分析した結果、当時、オーストラリアからインド経由で地中海地域へ向かう航路の船は輸出用のコメを満載していた。しかし、チャーチルは緊急食糧支援の要請をことごとく拒否し続けたという。
 ムカージー氏は「チャーチルに対策が無かったわけではない。インドへの援助は何度も話にあがったが、チャートルと側近たちがその都度、阻止していたのだ」と指摘する。「米国とオーストラリアが援助を申し出ても、戦時下の英政府がそのための船を空けたがらなかった。米政府は自国の船で穀物を送るとまで申し出たのに、英政府はそれにも反応しなかった」

■強烈なインド人嫌悪
 チャーチルはインド人を蔑む言葉をよく口にしたという。チャーチル内閣のレオ・アメリー(Leo Amery)インド担当相に対して、「インド人は嫌いだ。野蛮な地域に住む汚らわしい人間たちだ」と述べ、またあるときは、飢饉はインド人自らが引き起こしたもので、「ウサギのように繁殖するからだ」とののしった。
 特にインド独立運動の指導者マハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi)について「半裸の聖者を気取った弁護士」だと愚弄(ぐろう)し、援助を求める総督府の英高官らに対し、「なぜガンジーはまだ死んでいないのか」などと返答したという。
 ナチス・ドイツと戦う指導者として歴史に名が残るチャーチルだが、アメリー担当相はチャーチルのあまりの暴言に、ある時ついに「首相とヒトラーの考え方に大きな違いがあるとは思えない」と直言したこともあった。

■インド史から消された災厄
 チャーチルの伝記はこれまでに数え切れないほど執筆されているが、ムカージー氏の新刊は新情報を発掘したという意味で画期的な成果だと、著名な歴史ジャーナリストのマックス・ヘイスティングス(Max Hastings)やインドの作家たちが称賛している。
 ムカージー氏は「チャーチルを攻撃しようと思って調査し始めたわけではない。ベンガル飢饉について調べていくうちに徐々に、チャーチルが飢饉で果たした役割が浮かび上がってきた」と言う。
 現在はドイツ人の夫とともに独フランクフルト(Frankfurt)に在住しているインド出身のムカージー氏は、ベンガル飢饉については小学校の教師からも両親からも習ったことはなく、インドの歴史からも消去されてきたと批判する。それは「インド社会の中流に、罪の意識があるからだ。彼らは(総督府下で)仕事に就いていたから、つまり配給を割り当てられていた。けれど田舎の人間はいなくなっても構わないとみなされたのだ」
 7年の歳月をかけて執筆したムカージー氏は、インド奥地の村々に散るベンガル飢饉の生存者から生々しい話を取材で聞くにつれ、チャーチルに対する強烈な批判意識が生じたという。「彼がよく批判されるのは、ドイツ市民に対する爆撃についてだが、ベンガル飢饉でこれだけ多くの犠牲者が出たことついて直接の責任を問われたことはまったくない。しかし、これこそがチャーチル最大の汚点だと思う」(c)AFP/Ben Sheppard

(追記)
映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』は10億人の人の歴史を踏みにじる
(by Bedatri Datta Choudhury BuzzFeed Contributor 公開 2018年5月12日)
英国で政治家チャーチルを描いた映画がヒットした。だが英国に植民地として支配された歴史を持つインドから見れば、チャーチルは何百万人ものインド人を餓死させた人種差別主義者とうつるのだ。

 私の実家では、食べ物の好き嫌いを言ってはならない。「この食べ物をつくるために、誰かが時間と労力をかけているのよ」と母に昔から教えられてきた。
 私たちの家では、食べ物を無駄にはできない。自分が食べるものに、他の誰かが費やしてくれた時間と労力をありがたく思うことは、誰もがすること、あるいはすべきことだろう。
 しかし、私の家族がテーブルに乗っている食べ物に感謝する理由は、もっと深いところにある。私の両親は、インドとパキスタンの分割とそれに続く混乱と飢饉を経験し、そのトラウマを抱えながら生き抜いてきた。
 彼らは、飢えた人々が虫けらのように死んでいくのを見てきた。彼らにとって、そして、そのような両親に育てられた私にとって、食べ物とは「権利」ではなく、常に「恩恵」だった。
 私はこう言われて育ってきた。「私たちは最悪の飢えを見て、生き延びた。お前はそういう親を持つ子なんだよ」と。だから、私は決して食べ物を無駄にできないし、これからもしない。
 映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(原題:Darkest Hour、日本公開は2018年3月30日)のはじめの方に、チャーチルが朝食を取るシーンがある(ゲイリー・オールドマンの演技は素晴らしかった)。
 スクランブルエッグ、薄切りのベーコン、シャンペンとスコッチウィスキーが、クリスタル製の塩入れや胡椒入れ、磨きこまれたカトラリーと一緒に、銀のトレーに乗っている。時は1940年。チャーチルが首相になろうとする頃だ。手紙を口述筆記させながらイライラしたチャーチルは、その豪勢な朝食を脇へ押しやり、葉巻を吹かし出す。その朝食にはおそらく二度と手をつけないのだろう。
 この男がその3年後、現在のインド東部からバングラデシュにかけて広がるベンガル地方で300万人が餓死した、ベンガル飢饉を引き起こしたのだ。
 私の家族にとって、そして、ベンガル周辺の多くの家族にとって、食べ物との関係は、ベンガル飢饉にまでさかのぼる。75年たった今の時代に生きる私も、食卓にのぼる米に感謝の気持ちを持つ。
 ベンガルの人々は非常に長い間、自らが栽培した米を、イギリスの軍隊や市民を養うためにすべて取り上げられていた。イギリスによる食料の徴収は、世界の歴史でも最悪の飢饉の1つを起こすほどひどかった。
 飢えの軌跡を辿れば、非常に明確な支配構造が見えてくる。
 私たちは何百万人もの同胞を飢えで亡くしたが、このことが書籍で語られることはほとんどない。一方、パンやジャガイモが配給されていた時代のヨーロッパでの苦労や困難の話は、様々な場面で聞こえてくる。
 私の世代はそれほどの規模の飢饉を見たことがないし、おそらく、そうした飢饉を生き抜いた人のトラウマを表す語彙も表現も持ち合わせていない。しかし、世代を超えて語り継がれてきた当時の話を、誰もが聞いて育ってきた。
 友人の祖母は友人に、飢えた男性が「米を恵んでくれ」と訪ねてきたときのことを語った。祖母は急いで台所に行き、すでにかなり制限されて少なかった配給の貯えの中から、少し分けてやろうとした。しかし戸口に戻ってくると、男性は亡くなっていたという。友人の祖母に会ったことはないが、私の祖母も昔から、食べ物を分けてくれと頼まれたら決して拒んではいけない、と言っていた。

礼節は消え、信頼は壊れ、約束は無視される。すべて、一握りの米のために。
 チャーチルは1896年、イギリス陸軍軽騎兵第4連隊の少尉としてインドに赴任した。
 彼がインドを、「俗物と退屈なやつだらけの、神のいない土地」と形容したことは有名だ。イギリスの首相となったチャーチルは1943年、ベンガル沿岸の農業地帯のほとんどを空軍基地に変えさせた。日本軍から植民地を守るためだ。
 映画『遠い雷鳴』で、ベンガルの田舎にある黄色と緑の肥沃な田が、ゆっくりと消えていくシーンを見たことを覚えている。まずは、灯油が足りなくなる。そのあと、すべてが壊れていく。礼節は消え、信頼は壊れ、約束は無視される。すべて、一握りの米のために。
 子どものころ、祖父母からいろいろな話を聞いた。当時物騒だったカルカッタ(現コルカタ)で、米を炊いたあとに捨てる余ったゆで汁のでんぷんを食べさせてくれと頼んで回る物乞いのことを。街の路上では、そうした人々が何千人も死にかけていた。チャーチルが、穀類を運ぶオーストラリアの船に、ベンガルを迂回させたからだ。
 ビルマにいた私の大おじと大おばは、飢えと渇きに苦しむこうした地域を通り抜け、故郷の町ノアカリ(現在はバングラデシュ)まで、ほとんどの道のりを歩いて帰ってきた。ようやく故郷にたどり着いたものの、大おじは疲労とトラウマから立ち直ることができなかった。
 別の友人は、皿の上の米は1粒も残さず食べるよう言われて育った。彼女の祖母は飢饉を生き延びたが、「明日、目が覚めたら何も食べるものがないかもしれない」という恐怖を決して拭い去ることができなかったのだ。飢饉が最悪の状態となったのは、彼女の祖母が17歳のとき。友人にその話を語っていたのは、70歳くらいのときだった。

この男は私たちにとってのヒトラーだ。
 カルカッタでは、イギリスがつくった社交クラブが栄え、チョウリンギー通りの中心地には新しいレストランが次々にできた。その一方で、地方の女性たちは売春をするようになった。
 親は娘を売り、生き残った家族は金もなく、死者の魂を弔う気力もなかった。私のおばは、子どもたちを食べさせるために売春をする母親たちの話や、子どもたちを満足に食べさせてやれない申し訳なさに耐え切れず、子どもたちを殺してしまった父親の話をする。
 山と積まれた死体が、キツネや犬に食べられているころ、膨大な餓死者が出ているという知らせがチャーチルに届いた。しかし彼は、飢饉はインド人が「ウサギのように子どもを産むこと」に対する代償だと言ったという。
 チャーチルの答えは、「なぜガンジーはまだ死なない?」だった。
 このときチャーチルは、インドから食料をむしり取りながら、インド人兵士がたくさんいる英国陸軍を統率していた。
 ヒトラーと戦い、反ヒトラーの道徳性を称える一方で、彼自身はベンガルの飢饉につながる政策をとり、その政策を喜んでいた。インドの人口を「気持ちよく」間引けるからだ。
 この男は私たちにとってのヒトラーだ。
 だが、この男への憎悪は、世界のどこに見られるというのだろう?
 その代わりに、チャーチルを描いた映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』は2018年1月、アカデミー賞6部門でノミネートされた。
 2017年に公開された『ダンケルク』(こちらはアカデミー賞8部門にノミネートされた)は、「白人ばかりの連合軍」という嘘で虚飾された映画だった。
 同様に、『ウィンストン・チャーチル』の脚本家は、映画の中のあるシーンを勝手に丸ごと、完全に都合よくつくり変えてしまった。
 チャーチルがロンドンの地下鉄に乗るシーンだ。首相が現れたことに驚いて立ち尽くす乗客たちに、チャーチルは、戦争についての意見を求め、彼らが和平交渉という案を拒絶するのを聞く。チャーチルは「古代ローマの歌」の勇壮な詩を暗唱し、その詩を黒人男性が締めくくる。そしてチャーチルは彼とハイタッチするのだ。
 しかし、ジョー・ライト監督が時代設定をあと数年遅くしていたら、おそらくチャーチルには、ベンガルの飢えた人々のための食料供給所で料理をさせたはずだ。  
 
イギリスは、自分に嘘をつこうとする中で、10億の人々の歴史をないがしろにする物語をつくっている。
 チャーチルは、有名な人種差別主義者だった。
 彼の頭の中にある進化論的な人種のピラミッドでは、白人のプロテスタントが最上部を占め、最下層はアフリカ人。ユダヤ人とインド人はその上だったという。このことは、多くの歴史家や知識人たちが書いてきたことで、ごく最近では、国連事務次長を務めたこともある作家のシャシ・タルールが、『Inglorious Empire :What the British Did to India(不名誉な帝国:英国はインドに何をしたのか?)』に著している。
 私はもちろん、チャーチルを英雄化し、ベンガル飢饉については何も触れずにいるこの映画(『ウィンストン・チャーチル』)には不満がある。
 しかし、もっと怒りを感じるのは、この映画がでっち上げようと決めたこのエピソードについてだ。
 チャーチルが黒人男性とハイタッチし、「古代ローマの歌」を暗唱して絆を深めるシーンによって、ただの戦争屋を人間味あふれる人物にしてしまうことは、単に歴史を歪曲しているだけでなく、素知らぬ顔で嘘をつくことにもなる。
 私は、ベンガルから何千マイルも離れたニューヨーク市内の映画館でこの映画を見ながら、自分の国の歴史について、その中でこの男が果たした役割について、私が知っていることすべてが揺らぐのを感じた。間違った認識を刷り込まされ、狂わされている感じだった。
 祖母の記憶、私たちが聞きながら育った話、子どものころから食べ物に対して感謝を持ってきたこと、そうしたことすべてが捻じ曲げられていたのだ。
 映画と文学を学ぶ人間として、歴史フィクションというジャンルのことは理解しているし、その限界もわかっている。私たちは何十年もかけて、ポストコロニアル理論(植民地主義や帝国主義に関わる文化・歴史を広範囲に取り扱うもの)を読み、何も語られていない歴史の境界から、物語を掘り起こそうと努めてきた。
 それなのに、私たちから搾れるだけ搾り取って去っていった70年後に、また別の白人男性が、映画館に座る私たちに向かって、イギリス人は君たちにとって実にいい人たちだったと語りかける。イギリス人には英雄しかいない、と語りかけるのだ。
 イギリスにとっては、チャーチルのような独裁者を英雄化し、輝ける過去の物語をつくり上げることが実際に必要だということはわかる。EU離脱問題に揺れる今の時代ではなおさらのことだ。恥ずべき暴力の上につくられた国には、称えるべき歴史が必要だ──実際には、称えるようなことをたいしてしてこなくても。だから嘘をつく。
 しかし、重大な国民的アイデンティティの危機に直面しているときに、戦争屋で人殺しでもある人物を、人間味あふれる人物に仕立てて、国民的英雄にしようとすることと、2世紀の間苦しめられてきた植民地の辛い歴史の真実を覆い隠してしまうほどの大きな嘘を、不道徳にもでっち上げることは、次元の違う話だ。
 イギリスは、自分に嘘をつこうとする中で、10億の人々の歴史をないがしろにする物語をつくっているのだ。
 もちろんそれは、今に始まったことではないのだが。

この記事は英語から翻訳されました。翻訳:浅野美抄子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan

流れのままに