流れのままに

流れのままに おのが道をゆけ ひたすらに ひたむきに

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朝陽_20190504_045309
Asahigaoka@AM045309, 4th May 2019.

『夜と霧』で知られるヴィクトール・フランクル医師(Viktor Emil Frankl:1905年3月〜1997年9月)は、死後も人格が存続するという素朴な考えの持主でした。人聞は精神(Geist)・心魂(Seele)・身体(Leib)の三つの構成要素からなると捉えます。そして、身体は死によって崩壊しますが、心魂・精神は崩壊せずに存続すると考え、精神は死を超えて存続すると見極めたのです。彼は人間は遺伝や環境の産物ではないと喝破した上で、私たちに己が精神の主体性と自立性を自覚するよう訴えています。
それは、素朴な心を失っていない人、あるいは中途半端な教養であっても良識を保っている人、そういう人ならだれしも、人間の死によってすべてが終わってしまうなどとは決して認めないであろう、ということであります。

いつも繰り返し示されることは、人聞が ―例えば墓に語りかけながら― 死者に向って「汝」と、ごく自然に呼びかけることができるという事実であります。

彼は、死せる者の肉体に、この「心魂の抜けた」肉体に、死体に呼びかけているのではありません。そうではなく、彼はそのつど、まさにただ精神から精神に向って呼びかけているのです。ただ精神的人格に対してのみ、私は「汝」と言うことができるのです。


『制約されざる人間 (Derunbedingte Mensch) 』(春秋社・2000年7月刊行)178〜179頁より引用。


大きな笑顔の佳き週末を

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昨夜、テレビで江利チエミさん(1937年1月11日〜1982年2月13日)の特集番組が放映。久々に、チャンネルを変える氣が起きなかった。多才な彼女の45年の人生は、実に多彩。

彼女は12歳の頃から進駐軍キャンプ回りをして歌っていた。家計を賄うためである。ある日、ひとりの進駐軍の兵士から「Tennessee waltz」のレコードをプレゼントされる。歌手になる志を抱いていた彼女は、この曲でデビューしたいと願い、各レコード会社のオーディションに。合格の道は険かったが、オーディションを受け続けた。14歳の時にようやく、キングレコードのオーディションに合格。彼女の「Tennessee waltz」は1951年11月にレコーディングされ、翌1952年1月23日発売。パティ・ペイジさん(Patti Page:1927〜2013)のレコード録音が1950年11月だからこのスピードに、チトびっくり。

興味深いお話しが二つある。
ひとつは、チエミさんのこと。当時キングレコードは彼女を『14歳の天才少女』のキャッチで売り込みたかった。しかし、レコード発売日1952年1月23日の13日前に彼女は15歳に。「嘘をつくのは嫌だ!」と言い続けたチエミさんの胆力にキングレコードは説得され、そのキャッチは幻になったという。『15歳の天才少女』ではいけない理由は、美空ひばりさん(1937年5月29日〜1989年6月24日)と関係があるかもしれない。彼女は1953年4月3日にドリス・デイさん(1922年生)が前年にヒットさせたスイング系のジャズ・ソング「Shanghai(上海)」をレコーディング。15歳であった。ひばりさんに抜きんでるために、レコード会社は「14歳」が欲しかったのかも。頑(かたく)なに『14歳の天才少女』となるのを断った逸話から、チエミさんの正直一徹な人となりが伝わってくる。

もうひとつは、高倉健さん(1931年2月16日〜2014年11月10日)のこと。彼が主演した映画『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年)の降旗康男監督(1934年生)は当初、「Vaya Con Dios」をテーマソングとして考えていた。キャストを含めた関係者が製作打ち合せの席でのこと。各自が良しとするテーマソングの候補曲について話し合っていた。スタッフから問われた健さんは、不意にゆっくりと「Tennessee Waltz」と答えるのであった。彼の人となりを良く知る降旗監督は、彼にとってのチエミさんの存在の大きさを改めて知らされた。自然、監督はテーマ曲を「Tennessee Waltz」に変更・決定。その事実を知らされた健さんは、「そんな個人的なこと、まずいんじゃないですか…」と言った後は一言も話さず、黙ったままでいたという。この作品が公開された時、彼は「テネシーワルツが聴こえてくると、未だにドキッとする」と語った。チエミさんが昇天なさってから、彼女の墓をお参りし供養し続けた健さん。実に、愛おしいお二人である。


閑話休題(それはさておき)


パティ・ペイジさんの1950年にリリースされた「Tennessee waltz」は同年に13週間にわたって1位の座にあった。累計売上げ600万枚と伝えられている。ビルボード誌のヒット・チャートでは1950年代最大のヒットを記録。「恋人とテネシーワルツを踊っていたら、旧友が来たので恋人を紹介したら、その友達に恋人を盗まれてしまった」という内容の歌で、歌い手が男性か女性化によって旧友をしめす代名詞がhimまたはherに代わる。チエミさんが歌う日本語訳詞では、主人公が男性になっている。15歳のチエミさんの歌声をお楽しみください♪



I was waltzing with my darling 
To the Tennessee Waltz
When an old friend I happened to see
I introduced her to my love one
And while they were waltzing
My friend stole my sweetheart from me

去りにし夢 あのテネシーワルツ 
なつかし愛の歌 
面影偲んで 今宵も唄う 
麗しテネシーワルツ


思い出懐かし あのテネシーワルツ
今宵も流れ来る
別れたあの娘(こ)よ 今は何処
呼べど帰らない…

I remember the night and Tennessee Waltz
Only you know how much I have lost
Yes, I lost my little darling
The night they were playing
The beautiful Tennessee Waltz


両陛下が沖縄入り、11回目 在位中は最後か、慰霊と与那国に
(東京新聞 2018年3月27日 13時56分)
 天皇、皇后両陛下は27日、羽田発の特別機で沖縄県入りされた。沖縄本島では戦没者を慰霊するほか、近くに台湾を望む与那国島にも初めて赴く。太平洋戦争で激しい地上戦の舞台となり、戦後も米軍施政下に置かれた沖縄県に心を寄せてきた両陛下が強く希望し、再訪が実現。陛下の天皇在位中では最後の機会となる見通しだ。
 両陛下の沖縄訪問は、2014年6月以来で、皇太子夫妻時代も含め11回目。2泊3日で那覇市に宿泊し、29日に帰京する。
 両陛下は、終戦の日と広島、長崎への原爆投下日、6月23日の沖縄慰霊の日を「忘れてはならない四つの日」とし、毎年黙とうしている。(共同)

皇后陛下のご体調とご日程について
 皇后さまには今年1月頃から,時におみ脚に強い痛みがあり,日常生活への大きな支障はないものの,お痛みは断続的に続いておられます。
 頸椎症性神経根症のお痛みなどもあり,宮中祭祀へのお出ましは段々と難しくなってきておられ,最近はせめて春季,秋季の皇霊祭・神殿祭と昭和天皇祭,香淳皇后例祭の時だけはと続けてこられましたが,二殿をお参りになる春季,秋季の皇霊祭・神殿祭はすでにご無理と思われ,明日のお参りも侍医の判断からお取りやめ願うことでご了承いただきました。
 今後はご様子を見つつ,6月の香淳皇后例祭へのご出席を決めることになりますが,この秋の皇霊祭・神殿祭のお参りはご欠席となります。
平成30年3月20日:侍従職

天皇沖縄訪問 命とうとし平和を願う
(東京新聞 2018年3月27日)
 天皇、皇后両陛下が二十七日から沖縄県を訪問される。太平洋戦争では地上戦が繰り広げられ、戦後も米軍の施政下に置かれた。在位中では最後の訪問となりうるだけに陛下の強いお心が伝わる。
 両陛下には「忘れてはならない四つの日」がある。終戦の日、広島と長崎の原爆被災日、そして六月二十三日の沖縄慰霊の日である。その日は沖縄戦で組織的戦闘が終結したとされ、陛下は毎年欠かさず、黙とうしているという。
 それほど沖縄には格別な思いがある。昭和天皇も生前、「沖縄県に行くことはできないか」と漏らすほどだったがかなわなかった。それも重い事実としてある。
 陛下の沖縄訪問が実現したのは、皇太子時代の一九七五年のことだ。だが、慰霊碑の「ひめゆりの塔」の前で、活動家に火炎瓶を投げ付けられる事件も起きた。即位後の九三年には歴代天皇として初めて沖縄県を訪れ、「ひめゆり平和祈念資料館」で、ひめゆり学徒隊の話をお聞きになった。
 近年では二〇一四年にご訪問され、学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を慰霊した。太平洋戦争中に米軍の魚雷攻撃を受けて沈められた船である。戦争の影が消えぬ地であり、陛下もそれを忘れぬ思いが強い。そう感じられる。
 今回の沖縄訪問は、戦後七十年を迎えるに当たって訪れた一四年六月以来で、皇太子夫妻時代も含め十一回目となる。
 初日は糸満市の国立沖縄戦没者墓苑で、沖縄戦で亡くなった犠牲者を慰霊するほか、二日目は与那国島を訪ね、日本最西端の碑や日本在来馬の一種「与那国馬」などを視察する。
 これは退位の意向をにじませた一六年のビデオメッセージで島々への旅を「天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」と語ったことにも通じる。過去には伊江島や宮古島、石垣島、久米島を訪問している。

 <みそとせの歴史流れたり摩文仁の坂平らけき世に思ふ命たふとし>

 皇太子時代の七六年の歌会始で詠まれた歌である。むろん、その前年に沖縄の摩文仁を訪れたことを踏まえている。住民を巻き込んだ大激戦地である。県民の四分の一が犠牲になったという。
 来年の四月末で退位する。その陛下が大事にされる公的行為として、沖縄の地を踏む意味は一貫し、慰霊と平和を願うお気持ちに他ならないであろう。

天皇皇后@20180327糸満市摩文仁
沖縄平和祈念堂に到着した天皇、皇后両陛下=27日午後2時39分、糸満市摩文仁
天皇皇后@20180327那覇空港天皇皇后@20180327みんな@那覇空港
27日午後、那覇空港・国内線ターミナル北側玄関前
天皇皇后@20180327那覇市泉崎・ANAホテル
27日午後4時、那覇市泉崎・ANAクラウンプラザ沖縄ハーバービューホテル
※写真は「天皇、皇后両陛下が来県 翁長知事ら出迎え、終始にこやかに」(沖縄タイムス 2018年3月27日14:43)より引用

(参照) 流れままに 「新しい日本の旅 」(2015年04月04日)

大きな笑顔の佳き水曜日を

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